独1部ケルン、10年前になぜ日本の大学生を獲得できた? 現在との違い…福田師王が“好例”の訳
ケルンは2014年には専修大学から長澤を獲得
現在では欧州で活躍する日本人選手は珍しくないが、ドイツ1部ケルンは、1977年に元日本代表FW奥寺康彦氏を獲得。1977-78シーズンは、その奥寺氏の活躍もあり、ブンデスリーガとドイツカップの2冠を達成している。
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欧州における日本人選手獲得のパイオニア的なクラブであるケルンは、2014年には専修大学からMF長澤和輝(ベガルタ仙台)を獲得。現在は同じドイツ1部ボルシアMGが、上村学園高からパリ五輪世代FW福田師王を獲得するなど、日本のアマチュアクラブから海外に渡る選手も珍しくない。だが、長澤の10年前の移籍は、なぜ起こりえたのか。
来日していたケルンのアカデミーダイレクターのルーカス・ベルグ氏が、当時のことを明かした。
「私は長澤の獲得に関わっていませんが、当時はコネクションがとても大事でした。私が聞いた話では、日本の大学選抜チームがドイツ遠征に来た時にチームのスカウトを派遣して、コンタクトをして獲得する流れになったと聞いています。
それほど時間は経っていませんが、今は当時とはスカウトの仕方が変わりました。世界中のレベルの高いリーグの映像が、簡単に手に入ります。たくさんの選手の映像をケルンにいても、どこからでも見られるようになっています。福田師王選手やJ2のクラブから伊藤洋輝選手が加入したのが、良い例でしょう」と、10年前の移籍の背景には、スタッフを現地に送り、つながりを持てたことがあったと説明した。
現在、ケルンには日本人選手はいない。しかし、将来的に日本人選手を獲得したい意向が強くあるようで、クラブには日本人のスタッフもいる。日本人選手はドイツでの評価も高く、MF遠藤航がイングランド1部リバプールでも成功を収めていることから、今後、さらに日本人選手獲得の流れは強まるかもしれない。
そうした時にケルンもビッグクラブと競わなければいけない立場になる可能性もある。ケルンの日本人スタッフによると、ケルン市は日本人街があり、「日本語だけでも生活ができるような場所」であるデュッセルドルフからも車で20、30分程度の距離にあるというメリットもあるという。デュッセルドルフといえば、日本サッカー協会(JFA)の欧州オフィスのある場所でもあり、日本から欧州に渡る選手にとっては、魅力的な材料になるかもしれない。
(河合 拓 / Taku Kawai)