トルシエが日本代表にかけた魔法「教育するためにそこにいたんだ」 日韓W杯へ積み上げたラボラトリー・プロセス【コラム】

かつて日本代表を率いたフィリップ・トルシエ氏【写真:Getty Images】
かつて日本代表を率いたフィリップ・トルシエ氏【写真:Getty Images】

ベトナム代表を率いるトルシエ氏、日本代表の監督時代は「私にとって最高の功績」

 かつて日本代表を率いたフィリップ・トルシエ氏が2023年2月からベトナム代表監督に就任した。日本サッカー界に多大な功績を残した指揮官は、24年1月のアジアカップで対戦する日本代表との一戦を前にして何を思うのか。旧知の英国人ジャーナリストが、トルシエ氏が日本代表にかけた魔法、日本代表監督時代に得た教訓、監督論について掘り下げる。(文=マイケル・チャーチ/全3回の1回目)

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 2024年1月にカタールで開幕するアジアカップの決勝(2月11日)はまだ7か月近く先だが、今年5月に同国で行われた大会抽選会の結果で、どの試合よりも注目された対戦カードがある。それが日本代表対ベトナム代表だ(注/カタール・アジアカップ2024年1月12日~2月10日/グループD:日本、インドネシア、イラク、ベトナム)。

 普段ならサムライブルー(日本代表の愛称)が東南アジアの強豪にすぎないベトナムと対戦するからといって、注目を集めることはほとんどないだろう。

 しかし、この試合にはほかのどの試合よりも興味を引くファクターがある。それがベトナム代表を率いるフィリップ・トルシエ監督の存在だ。

 そう、あのフィリップ・トルシエだ。

 2000年代に日本サッカーのストーリーの多くを形作ったこの男がシニアレベルでついに日本と戦う。これは運命だったのかもしれない。

 このフランス人指揮官の功績を改めて振り返る必要はないだろう。日本を多くのマイルストーンに導いた男には、ポジティブな歴史がたくさんある。

 そんな彼が来年1月14日に行われるアジアカップの開幕戦で、森保一監督率いる日本代表を打ち負かそうと企んでいるのだ。

「抽選会の前から日本がそこにいることは分かっていた。これは私の物語だからね」

 トルシエはベトナム代表での初陣となった先月(6月)の香港戦(1-0)のあとにこう語った。

「日本代表での仕事は私にとって最高の功績だ。素晴らしい時間だった」

「日本は(2002年に)韓国とともにワールドカップ(W杯)を開催した。そこで私は1人の監督としてだけではなく、フットボールプロジェクトのリーダーでもあった。ピッチで選手たちを率いるだけでなく、教育するためにそこにいたんだ」

「私たちには4年間のプロセスがあり、さまざまなステップがあった。日本代表は1998年にW杯初出場を果たした。秋田(豊)や相馬(直樹)、山口(素弘)といったビッグプレーヤーを擁していたが、最下位からのスタートだった」

日本代表に変化を加えてグループをミックス「私が指揮者として振る舞う必要があった」

 トルシエは日本サッカー界に革命を起こし、フランスW杯予選を勝ち抜いたチームをベースに、Jリーグのアカデミーを通じて才能ある世代に経験を積ませた。

 彼はA代表だけでなく、U-20代表や五輪代表を率いるように任命された。アフリカでは「白い呪術師」として知られるフランス人監督は日本代表に魔法をかけ始めた。

「初めて代表チームに変化を加えたのは、2000年に香港で開催されたカールスバーグ・カップだったよ」

 彼は言う。

「ずっとU-20とU-23のチームの監督を務めていたから、メキシコ戦(0-1)が最初の試合だった。そこでU-20とU-23のチームから選手を連れてきて、初めてグループをミックスさせたんだ。1998年から2002年までは、まさにラボラトリー・プロセスだった。私たちは教育の大きな部分を担っていた。選手たちは地元のリーグでプレーしていたが、それだけでは足りないことを知っていた」

「彼らは自分たちが、私と私の哲学の支配下にあることを知っており、ボールを持っている時も、持っていない時も、我々のプロトコルやゲーム構造を実行し、ボールの使い方や相手がプレスをかけてきた時の対応の仕方を学んでいった」

「戦術は誰か1人の意図でも、11人の選手の意図でもない。それは1つのアイデアにすぎず、私がシンフォニー(交響楽団)の指揮者として振る舞う必要があった。私たちには1つのボールと22の目があり、これこそがプロセスだ。このプロセスを実行するのに4年かかった」

「最終的に私たちはアジアチャンピオンになり、U-20W杯で準優勝し、オリンピックではベスト8になった。オリンピックのことはよく覚えている。アメリカを相手に我々は準決勝進出がほぼ確実だったが、レフェリーが不可解なPKを与えた。理由は今でも分からない。彼は95分にPKを与えた。試合はほとんど終わっていたんだ」

「そして、我々はコンフェデレーションズカップで決勝に進出した。一歩一歩、前進していた。日韓W杯の半年前、埼玉でイタリアと対戦した時(1-1の引き分け)、私はこう言ったことを覚えている。『準備完了だ』と」

※第2回に続く

[プロフィール]
フィルップ・トルシエ/1955年3月21日生まれ、フランス出身。28歳で指導者に転身後、複数のクラブで指揮を執り、98年フランスW杯で南アフリカ代表を率いた。同年9月、日本代表の監督に就任。A代表とU-21日本代表の監督を兼務し、99年ワールドユース(現U-20W杯)で準優勝し、2000年シドニー五輪でベスト8。02年日韓W杯で日本初のW杯勝利、初の決勝トーナメント進出を果たした。その後、カタール代表、マルセイユ、モロッコ代表監督などを歴任し、23年2月からベトナム代表監督に就任し、U-23ベトナム代表監督も兼任している。

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マイケル・チャーチ

アジアサッカーを幅広くカバーし、25年以上ジャーナリストとして活動する英国人ジャーナリスト。アジアサッカー連盟の機関紙「フットボール・アジア」の編集長やPAスポーツ通信のアジア支局長を務め、ワールドカップ6大会連続で取材。日本代表や日本サッカー界の動向も長年追っている。現在はコラムニストとしても執筆。

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