あのJリーグ助っ人たちの「今」 ビスマルク、アルシンド、ドゥンガ…日本を沸かせた往年スターを追跡

かつてJリーグで活躍をしたブラジル人助っ人の「今」に迫る【写真:本人提供 & 藤原清美】
かつてJリーグで活躍をしたブラジル人助っ人の「今」に迫る【写真:本人提供 & 藤原清美】

【コラム】日本で活躍したかつてのブラジル人助っ人、10人の「今」にスポット

 Jリーグは今年で30周年の節目を迎えた。リーグのプロ化により、日本サッカーは紆余曲折を経て発展を遂げてきたなか、レベルの向上へ一役買ってきた存在として忘れてはならないのが、世界各国から日本にやって来た外国人助っ人たちだ。今回、「FOOTBALL ZONE」ではJリーグ助っ人特集として複数コンテンツを展開。ここでは、日本で活躍したかつてのブラジル人助っ人たちの「今」にスポットを当て、それぞれ紹介していく。

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かつてV川崎などで活躍したビスマルク【写真:藤原清美】
かつてV川崎などで活躍したビスマルク【写真:藤原清美】

■ビスマルク
在籍期間:1993年~2001年、2003年
在籍クラブ:ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸

 Jリーグでは合計10年間にわたり、チームの司令塔として活躍した。2003年シーズンを最後に現役引退し、ピッチを退いたあとは一貫して代理人業を務めている。ブラジル国内はもちろん、欧州や中東にも行き来し、日本には鹿島アントラーズにアレックス・ミネイロ、川崎フロンターレにマギーニョやマルシーニョらを送り込んでいる。

 日本を知り尽くしているだけに「若いブラジル人選手が幸せになるために、もっと日本に連れて行きたい」と意欲を語る。また、母国バスコ・ダ・ガマのスターだったビスマルクは現在、サポーターのためのYouTubeチャンネル「Atenção Vascaínos!」も仲間と運営中で、熱血、かつユーモアあふれるトークが話題となっている。

アルシンドは引退後、ビジネスの手腕を発揮【写真:藤原清美】
アルシンドは引退後、ビジネスの手腕を発揮【写真:藤原清美】

■アルシンド
在籍期間:1993年~1996年
在籍クラブ:鹿島アントラーズ、ヴェルディ川崎、コンサドーレ札幌

 その得点力はもちろん、「友だちなら当たり前」などの流行語を生み出し、一世風靡した。引退後は、セミプロや女子のチームなどで監督を務めた時期もあるが、現在は農場経営に専念。その規模拡大などでビジネスの手腕を発揮する一方で、自らも大型機械を操り、農作業に取り組んでいる。

 農場主同士の交流と従業員の士気高揚のため、サッカーの農場リーグを主催したり、週末は自宅でバーベキューパーティーを開くなど、地元の顔となっている。

セレソンの闘将は2016年以降、社会活動に重心を置く【写真:本人提供】
セレソンの闘将は2016年以降、社会活動に重心を置く【写真:本人提供】

闘将ドゥンガはセレソン監督後、社会活動に重心

■ドゥンガ
在籍期間:1995年~1998年
在籍クラブ:ジュビロ磐田

 1994年ワールドカップ優勝キャプテンが、その翌年に磐田に入団したことで話題となった。引退後は、2度にわたってブラジル代表を指揮。コパ・アメリカ、FIFAコンフェデレーションズカップなどのタイトルや、北京五輪銅メダルなどの結果を残し、国内屈指の監督となった。

 2016年後半からは、現役時代から続けている社会活動に重心を置く。スポーツを通した子供たちへのサポートや、老人ホーム訪問など加え、パンデミックで経済的困難に陥った人々に手を差し伸べる活動「善行のセレソン」にも精力的に取り組んでいる。

鹿島や清水などで活躍したサントスは43歳まで現役を続けた【写真:本人提供】
鹿島や清水などで活躍したサントスは43歳まで現役を続けた【写真:本人提供】

■サントス
在籍期間:1992年~2003年
在籍クラブ:鹿島アントラーズ、清水エスパルス、ヴィッセル神戸、ザスパ草津

 強靭なフィジカルを武器に、43歳まで現役を続けた。引退後は、故郷での農場経営と並行して、指導者の道を歩んでいる。日本で清水エスパルスやアルビレックス新潟のアシスタントコーチを務めたほか、ブラジルでは大学チームや育成年代の監督を歴任。実戦機会に恵まれない若い選手たちに練習と試合の場を与える社会活動的なクラブでも長年指導している。現在はプロ監督ライセンスを取得し、元鹿島のチームメイトであるジョルジーニョの下で研修するなど、あくなき向上心を燃やしている。

鉄壁の守備を誇ったシジクレイは5つのJクラブでプレー【写真:本人提供】
鉄壁の守備を誇ったシジクレイは5つのJクラブでプレー【写真:本人提供】

G大阪などで活躍したシジクレイは、指導者の道へ

■シジクレイ
在籍期間:1997年~2009年
在籍クラブ:モンテディオ山形、京都サンガ、大分トリニータ、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪

 Jリーグ5クラブでプレーし、「残念、そこはシジクレイだ」の言葉が生まれるほどの強固な守備力を誇った。引退後はサッカー指導者として、小・中規模のクラブで監督やアシスタントコーチを歴任。2013年から3年間は、G大阪でアシスタントコーチも務めた。ブラジル全国選手権1部、2部のクラブの監督を目指す一方で、アメリカでの育成年代の指導の話も浮上するなど「まだ50歳。いつでも挑戦。」と意欲に満ちている。

トーレス(右)は引退後、代理人業やスカウト業など幅広く活躍【写真:藤原清美】
トーレス(右)は引退後、代理人業やスカウト業など幅広く活躍【写真:藤原清美】

■トーレス
在籍期間:1995年~1999年
在籍クラブ:名古屋グランパス

 Jリーグ創成期からの5年間、不動のセンターバックとして名古屋を支えた。引退後から現在も継続しているのは選手の代理人業。同時にスポーツ代理店を立ち上げ、さまざまなサッカー関連イベントの企画運営でも成功するなど、スポーツビジネス界で活躍している。古巣フルミネンセのディレクターや育成専門のクラブの顧問を務めた時期もある。また、イングランド1部マンチェスター・ユナイテッドのスカウトも長年務めている。今年に入り、名古屋のチームメイトだった望月重良らと、選手の育成プロジェクトも立ち上げた。

浦和の英雄ポンテは現在、ポルティモネンセの副社長に【写真:本人提供】
浦和の英雄ポンテは現在、ポルティモネンセの副社長に【写真:本人提供】

■ロブソン・ポンテ
在籍期間:2005年~2010年
在籍クラブ:浦和レッズ

 浦和で6年間プレーし、Jリーグ初優勝にも貢献したクラブ最大の英雄の1人。2011年を最後に引退し、その5年後にはポンテの代理人だったテオドロがクラブオーナーとなったポルティモネンセ(ポルトガル)のディレクターに就任した。その当時、クラブは新時代を迎え、国内リーグ1部に定着。ポンテは選手の契約などに手腕を振るうとともに、ブラジル、ドイツ、イングランド、そして日本でプレーした国際経験を生かし、選手たちに哲学を注入してきた。現在はクラブ副社長を務めている。

鹿島の点取り屋だったマジーニョは引退後、ビジネスの才能を開花【写真:本人提供】
鹿島の点取り屋だったマジーニョは引退後、ビジネスの才能を開花【写真:本人提供】

鹿島の点取り屋だったマジーニョ、横浜FM黄金期メンバーの1人だったドゥトラの今は?

■マジーニョ
在籍期間:1995年~2000年
在籍クラブ:鹿島アントラーズ、川崎フロンターレ

 1990年代後半の鹿島の黄金時代を支え、数々のタイトル獲得に貢献。2000年を最後に現役引退したあとは、意外にもビジネスの才能を開花させた。現役時代に購入した3つの農場経営をはじめ、経済の流れを見極めて、車の代理店も経営した。2016年からはフルミネンセがマジーニョの住むトカンチンス州にサッカースクールを開校したことから、要請を受けてコーチに就任。「少年たちに教えるのは、楽しく、夢のある仕事」と語り、5〜15歳の少年たちの育成に情熱を注ぐ。

横浜FM黄金期メンバーの1人だったドゥトラ【写真:本人提供】
横浜FM黄金期メンバーの1人だったドゥトラ【写真:本人提供】

■ドゥトラ
在籍期間:2001年~06年、2012年~14年
在籍クラブ:横浜F・マリノス

 2度にわたって横浜FMでプレーし、2003年からのJリーグ連覇にも貢献した。2014年の現役引退後、当初は監督の道を目指し、古巣のサンタクルスやスポルチ・へシーフェで、プロチームのアシスタントコーチや、U-20の監督を務めていた。

 現在はサッカー界を離れて、故郷マラニョン州で2つの会社を経営。「サッカーは恋しいけど、人生では訪れたチャンスを生かすべき時もある。今の僕はビジネスマン。この新たな挑戦にやり甲斐を感じている」

札幌や新潟でプレーしたヘイス(右)。現在は配車サービスUberの運転手に【写真:本人提供】
札幌や新潟でプレーしたヘイス(右)。現在は配車サービスUberの運転手に【写真:本人提供】

■ジョナタン・ヘイス
在籍期間:2001年~06年、2012年~14年
在籍クラブ:北海道コンサドーレ札幌、アルビレックス新潟

 2016年からの2年半を札幌で過ごし、チームのJ2優勝やJ1残留などに貢献した。膝の怪我により、29歳で現役引退を余儀なくされた。現在33歳、職業はアプリを利用した配車サービスUberの運転手。ビッグクラブでプレーした選手のセカンドライフとしては異色であり、古巣PSVのあるオランダでは、彼の人生を綴るドキュメンタリーが公開された。本人は「車の運転が大好き」と語り、週末にはアマチュアサッカーでのプレーを楽しんでいる。

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藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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