片野坂体制の大分トリニータ、地方クラブでも堂々の躍進 6年でJ3→J1へ2段階昇格、”カタノサッカー”の神髄とは
【J番記者コラム】戦力差で大きく上回れても、綿密なスカウティングにより対抗
2016年に当時J3だった大分トリニータの監督に就任し、指揮官としてのキャリアをスタートした片野坂知宏監督。J3を制して1年でJ2昇格を決めると、翌々年にはJ1昇格を果たし、同一クラブで“2段階昇格”の偉業を達成した。
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来季J2への降格が決まってしまったものの、天皇杯で決勝進出を果たすなど、手腕の高さは今シーズンのトピックの一つとも言える。戦力が限られた地方クラブで、戦力差の大きな相手に組織力と戦術の浸透度で対抗し、数々の勝利を重ねた”カタノサッカー”の神髄とは——。
監督として目の前の試合に勝つことだけに集中し、良い準備をして、選手の最大値を引き出すこと。J3の時も、昇格やタイトルが懸かった試合であっても、指導者としてのスタイルは変わらない。
大分でのラストゲームとなった天皇杯決勝を前にして取材した時のことだった。片野坂監督は、「いろんな思いがあるが、大事なのはサッカーに集中すること。最大値を出し、最後までパワーを出して選手が躍動するサッカーをしたい」と、いつもと変わらぬ口調で話した。
戦力差で大きく上回れても、綿密なスカウティングにより相手のスタメンとシステムを読み、試合の入り方、進め方、仕掛けるポイントを練習に落とし込み、戦い方を変える。片野坂監督が6年間で積み上げたカタノサッカーの真骨頂と言える。
監督としてのキャリアをスタートさせた2016年は、「1年でのJ2復帰」のミッションを達成するために、自分の考えるスタイルを貫きながら、勝負どころの終盤戦では手堅く失点を減らす現実路線にシフトするなど試行錯誤し、結果を出した。片野坂監督本人も「あの1年が監督としての自信となった」と振り返る。
翌年から2018年までのJ2での戦いは、「戦術をバージョンアップして、選手をやり繰りした」2年間だった。選手たちに、勝つために確固たるプレーモデルや細部まで行き届いた戦術的コンセプトを、根気強く伝えて、戦術を落とし込んだ。
そのスタイルの根源は、11人が攻守に渡って最良のポジションを取り続け、数的優位、位置的優位、質的優位を獲得し、打開の糸口となるミスマッチを作り出すポジショナルプレーにある。GKを含めた最終ラインから丁寧に攻撃を組み立て、ボランチを経由し、前線、あるいはサイドへと滞りなくボールが供給されていく様は、洗練された組織によってなされる優れた機能美を感じさせるものだった。
柚野真也
1974年生まれ、大分市出身。プロ、アマ問わず、あらゆるスポーツを幅広く取材。現在は『オーエス大分スポーツ(https://os-oita.com)』で編集長を務める傍ら、新聞や雑誌、ウェブなど各媒体で執筆する。一般社団法人日本スポーツプレス所属。