「オシムさんは型にはめなかった」 元日本代表MF水野晃樹、アマチュア契約から20代前半で飛躍…ジェフ時代に花開いた理由

レベルが段違い、自分の色を出すことは考えられなかった

「プロに入って最初の監督がオシムさんで良かったなと、正直思うことはあります。すでに他の監督のもとで指導を受けていたら、余計な知識が入っていて、すんなり受け入れられたかどうか分かりませんし、高卒1年目で右も左も分からず、ましてや、練習参加も一度もしないまま加入したんですよ。

 なので必死についていくだけ。真っ白のノートに新たなページを書いていく感じだったので、それだったからこそすんなりと全部が上手くいったというか、そういうものは大きかったと思います。

 それに、高校の時にフィジカル的にも、メンタル的にも、厳しいトレーニングの中で揉まれた経験が、オシムさんの求めているサッカーに近いものにつながっていったのもあったんですよね。

 もちろん、レベルは別物ですよ。何か月もお客様気分が抜けなくて、自分だけ置いていかれている、追いついていない、という感覚がすごくあって。単純に走るスピードもそうなんですけど、判断やパススピードのレベルが段違い。

 そう感じたのも理由があって、高校時代、ダイレクトプレーというのをほとんどやっていなかったんですよ。ワンタッチプレーを。ボールを止めてから次を考えてっていうトレーニングをやっていたので、最初にそこで躓きました。常に、一個先、二個先、オシムさんの言い方だと、『三つ先まで考えとけ』という風に言われていたので、それには正直、全然ついていけなかったです。

 もう必死についていくだけで、自分の色を出すとか、そういうことは考えられなかったですね。ただその中で、同期が2人いたんですけど、自分としてはライバル心を抱いていたんです。

 1人は今、町田ゼルビアでプレーしている水本裕貴(※12月2日に契約満了発表)。彼なんかは高校時代からアンダーの日本代表に入っていて契約自体もしっかりとしたものをもらっていました。一方で僕は当時のジェフにあったアマチュア契約。嫉妬心というか、『こいつだけには絶対に負けたくない』という気持ちが強かったので、トップレベルの練習に必死についていくなかでも『先にデビューしたい』という気持ちを強く思いながらプレーしていました。

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