「あの11番は偉大」 元日本代表MF名波浩が追い続けたカズの姿「尊敬しかない」

フランスW杯アジア最終予選で忘れられないカズの姿

 日本サッカー界が悲劇を乗り越え、再びW杯へ挑戦する――そのチームに名波氏は加わり、象徴的な存在だったカズとともに98年フランス大会出場を目指した。だが、その道のりは決して平坦なものではなかった。

 97年9月からスタートしたアジア最終予選で、日本は“宿敵”韓国に1-2で敗れるなど4試合を終えて1勝2分1敗と低迷。ここで加茂周監督が更迭され、ヘッドコーチだった岡田武史氏がチームを引き継ぐ。だがその後も波に乗れず、国立競技場で行われた第8節UAE戦を1-1で引き分けると、サポーターが選手バスを囲む騒動となったが、名波氏はその時のカズの姿が忘れられないという。

「パイプ椅子を投げられたり、生卵が飛んできたりしたあの時、カズさんは僕らに対して『お前らバスに乗っとけ、俺が行ってくるわ』みたいな言葉を残して出て行った。その責任感というか、矢面に立ってくれる兄貴肌的なところとか、そういうところも尊敬しかないですね。

 ドーハを経験した人たちのストーリーは、93年のあの時から始まっているんです。カズさんなら、最後のショートコーナーで体を投げ出して届かなかった残り50センチを追い求めた4年間だったと思います。その後ろ姿を見ながら、本大会に向かっていく時間を共有したからこそ、あの11番は偉大だなと感じますね」

 最終的に日本代表はジョホールバルでのアジア第3代表決定戦を制し、悲願のW杯初出場を決めた。カズ自身は本大会登録メンバーから外れ、フランスW杯のピッチには立てなかったが、プロ化した日本サッカー界の先頭を走り続け、「サッカー選手のスター像を作ってくれた」唯一無二の存在だったと名波氏は振り返る。

 54歳となった今年も現役のJリーガー。「そんな選手、不世出ですよ」と、名波氏は改めてカズの偉大さを口にした。

[プロフィール]
名波浩/1972年11月28日生まれ、静岡県出身。順天堂大学を卒業後の95年にジュビロ磐田に加入し、左利きの司令塔として黄金期を迎えたチームの中心として活躍した。Jリーグ通算331試合34得点、Jリーグベストイレブンに4度選出。1999-2000シーズンにはセリエAのヴェネツィアでプレーした。日本代表としても国際Aマッチ67試合9得点の成績を残し、1998年フランスW杯には背番号10をつけて出場。2000年アジアカップではMVPを受賞し、日本の優勝に大きく貢献している。08年に現役引退。14年から19年まで磐田監督を務めた。
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(FOOTBALL ZONE編集部・谷沢直也 / Naoya Tanizawa)



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