恩師・城福浩が語る柿谷曜一朗の原風景(2) エレベーターの前に立っていた男

「複雑の心境だったと思う。相当思うことはあったはず。あいつの置かれた立場だったらそれを整理することは簡単ではなかった。先発を外れたことを引きずってはいけないし、いまにすべてを注がないといけない。自分の置かれた立場をしっかりと把握できる選手だけど、胸に抱える悔しさは押し込めていたのだと思う

 

 かつて自らが率いたU-17日本代表では、王様然とした振る舞いを見せていた男がベンチでチームメートのゴールを喜んでいた。城福が口にした言葉からは、少しのうれしさとともに「あいつをピッチに」という親心で揺らぐ思いが伝わってきた。

 城福には、選手の背景を探るためのテストがある。その一つが体力テストだ。「体力があるかなんて、ゲームを見ていれば分かる。そんなことよりも、自らをオールアウトできるかどうかをそこで見る」と言うのだ。知り合った当時の柿谷は、自分の限界の三歩手前で「もうダメだ」と足を止めた。その横で、米本拓司(現FC東京)は倒れ込みそうになりながらも、その場に突っ伏すまで一歩を出し続けた。その姿勢を見ただけで互いのバックグラウンドが透けて見えてくる。

「精神的な限界と、肉体的な限界が一致するなんてことはそうそうない。だけど、幼い頃からもてはやされた選手は格好悪い姿は見せたくないという環境で育ったから、そこがあまりに乖離している」

 かつての柿谷もボールを持てば驚嘆させるプレーを魅せたが、チームのために汗をかくタイプではなかった。代表でもベンチの前では太ももを芝生に滑らせるが、そこを離れれば体を張るような真似はしない。それではチームはまとまらない。

「ボールを取られたら取り返せって言葉を5000回言って聞かない人間に、俺が5001回目を言ったとしても聞くはずがない。だから手法を変えた」

 ある日、自らが率いた代表と、清水エスパルスとの練習試合で城福はある行動に出た。柿谷はいつものように、当時マイブームになっていたノールックパスを出した。そのアイデアにFWの端戸仁(横浜F・マリノス)が気付かず、ミスパスになってしまう。柿谷はため息をつき、奪われたボールがつながれてピンチになる様子をその場で眺めていた。「ここだ」と思った城福は試合後、選手を集めた。そして、柿谷に背を向けて突然、矛先をセンターバックの甲斐公博に向けた。「お前、ユニフォームを脱いで出て行け」。

 突然の怒号に慌てふためく選手たちに構わず、「お前はセンターバックだろ。チームの守備の中心がボールを取られた人間に戻って来いと怒鳴ることができないのであれば、お前にそのユニフォームを着る資格はない」と続けた。あえて名前を伏せられた柿谷は、仲間が怒鳴られる横でばつの悪そうな顔をしていた。

「それが利いたとも思わない。それぐらいあいつは特別なサッカー人生を送ってきた。だから俺も曜一朗には鍛えられた」

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