“ステップアップ移籍”の先駆者、元日本代表MF松井大輔が考える海外挑戦の意義

今年でプロ19年目を迎えた横浜FCのMF松井大輔【写真:荒川祐史】
今年でプロ19年目を迎えた横浜FCのMF松井大輔【写真:荒川祐史】

2部ル・マンから海外挑戦「簡単に欧州5大リーグの1部に入れるほど現実は甘くない」

 今年プロ19年目を迎えた横浜FCの元日本代表MF松井大輔は、ヨーロッパで計11年、8クラブを渡り歩いた豊富な欧州経験を誇る。鹿児島実業高時代からテクニシャンとして鳴らした男が欧州を目指したきっかけは、“黄金のカルテット”と呼ばれた中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一の欧州組4人衆の存在だった。

「京都(パープルサンガ/現京都サンガF.C.)時代、ヒデ(中田)さんはもうイタリアに渡っていたし、稲本くんと伸二さんの2個上の黄金世代と身近な中盤の選手たちが海外でプレーされていたので、自分も早くヨーロッパに行きたいと思いました。同僚で(2002年に)PSVへ行った(韓国代表MFパク・)チソンは一学年上でしたが、一緒にやっていた同世代の存在も刺激になりましたね」

 頭の中で「20~21歳で行けたら」と思い描いていた海外行きが実現したのは、23歳となった2004年のことだった。ル・マンは当時2部だったが、決断に一切の躊躇はなかったという。

「(アテネ)オリンピックが終わる前くらいに、2チームからオファーが来ていました。簡単に欧州5大リーグの1部に入れるほど、現実はそんなに甘くない。ル・マンは“これからのチーム”と聞いていたので、ぜひ行きたいなと思った。2部でしたけど別に躊躇はしなかったし、あの決断はすごく良かったな、と」

 実際、松井は25試合3得点の活躍でチームを2部中位から1部昇格圏の2位に導き、「ル・マンの太陽」と呼ばれた。1部昇格後もサンテティエンヌに移籍する2008年までレギュラーを張り、海外挑戦のなかでも「一番思い出深い」と振り返る。

「ル・マンは帰ったらすごく落ち着くし、自分が昔行っていた場所が変わっていないという意味でも懐かしく思います。以前、試合前に一回もアップでグラウンドに出ず、ロッカールームで身体だけ温めて試合に出るということがありました。監督からの指示は、『犬になれ』と(笑)。衝撃的でしたね。他の選手は犬のようにボールを追いかけていましたけど、僕はボールにほとんど触れなかったし、足にもつかずで全くダメでした。アップなしで試合に出るというのは、後にも先にもその一回。その試合は勝ったのでそういう監督もいるんだという良い思い出だし、その後ビックリすることはあまりなかったですね」

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