ドイツ人記者が見た「ハリル解任劇」 同様の危機を迎えた06年独代表を支えたものとは

「選手と監督の信頼関係を外から判断するのは難しい」

「選手と監督との信頼関係を外から判断するのはいつでも難しい。当時は分からなかったけど、クリンスマンというのはすごいモチベーションを高めるのが上手い監督だった。そしてヨアヒム・レーブは、卓越した戦術眼を持ったアシスタントコーチだった。当時二人の能力を信じて任せたDFBの判断は、とても良かったね。そういえば大会後、ビルト紙はユルゲン・クリンスマンのことをすごく持ち上げていたよ(笑)」

 ヘアマンはそう述懐する。当時のドイツにとっては、すべてがチャレンジだった。「信頼関係」に関してもそうだ。クリンスマンとレーブは、何度もチームビルディングの時間を取った。W杯前にサルデーニャ島で家族同伴のリラックス合宿を組んだ。一日に二度のフィジカルトレーニング以外は、ゆっくりと体と頭を休ませるのが目的。彼女とボウリングをする選手がいれば、プールサイドでのんびりと日向ぼっこをしていた選手もいた。

 ベルリンに移動しW杯が始まってからも、クリンスマンは選手が部屋に閉じこもらないような雰囲気作りを大事にした。リラックスルームや談話室など、とにかく寛ぎながらゆっくりとリラックスできる空間を多く作った。連日プレッシャーとストレスが、選手にのしかかっていたはず。そこから逃げず、現実的にしっかりと受け止め、一人ではなくチームとして、大きなファミリーとしてみんなで乗り越えて行こうというポジティブな姿勢が、選手やスタッフの連帯感を生み、成功への道を歩み出したのだと思う。

「こうした状況になった以上、大切なのは経験豊富な監督だよ。選手を信頼し、チームを築き上げることができる人材が必要不可欠だろう」

 日本は自分たちで自らの退路を断った。目前に迫ったW杯へ前を向くしかない状況で、自らの力で道を切り拓いていくしかない。後任となった西野朗新監督は、経験に裏打ちされた手腕を発揮してチームを束ね、電撃解任に動いた日本サッカー協会の“信念”の正しさを、ロシアで証明できるだろうか。

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)



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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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