久保建英を育て上げた「ドラえもん」 戦慄させた衝撃の光景…不機嫌な神童は「とんでもない奴だ」

安間貴義氏が語る若い選手への指導スタンス
育成手腕に定評のある安間貴義氏(ジュビロ磐田U-21監督兼U-18監督)は自身の指導スタンスについて「興味を持ちながら放っておく」と語る。そんななか、FC東京時代には中島翔哉、久保建英という2人の若き才能と向き合った。原石を輝かせるべく、それぞれにどのようなアプローチを試み、指導したのか。(取材・文=いしかわごう/全7回の5回目)
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2015年から、安間はFC東京のコーチとして招聘されている。
「東京は、いい選手はいるけど、なかなか育たなかった。個人の成長にアプローチして欲しいと言われました。ちゃんと見てくれている人がいるんだなと思いましたね」
カターレ富山での育成手腕が評価されてのことだったが、その富山時代に出会った選手がFC東京から期限付き移籍でやってきた中島翔哉である。その後、2017年にはポルトガルのポルティモネンセに移籍し、18年には第一次政権の森保ジャパンで日本代表の背番号10を背負った逸材だ。卓越したドリブルと閃きのあるプレー。当時から抜きん出た才能を感じさせていたサッカー小僧を、安間はどう指導していたのだろうか。
「翔哉みたいな選手を指導するときに大事なのは、その子の良さを出してあげること。尖った部分を消してはいけないので、尖っている部分はそのまま輝かせてあげる。そうすれば、周囲の選手も『うわっ、こんなパスが出てくるんだ』、『こんなプレーができるやつがいるんだ』って驚きと喜びを感じるようになる。お互いにとって意味が出てくるんです」
ただし、安間は中島を甘やかしたわけではなかった。ピッチ上の規律に関しては妥協を許さない。最低限の守備の約束事ができなければ、容赦無く途中交代を命じた。
「ダメなものはダメ。そこは徹底していました。当時の翔哉は攻めしかやっていなかった。『スタートポジションに戻らなかったら交代させるぞ』と伝えて、ピッチに送り出したんですが、戻らなかったからスパッと交代させた。そうしたら怒ってベンチ前でペットボトルを蹴り飛ばしやがった(笑)。でも、そういうのもやらせないと言えないじゃないですか。自分が損していることも全部伝えました」
甲府や富山、そしてFC東京。コーチ時代に全体練習後に出場機会の少ない選手たちを鍛え上げるトレーニングは「安間塾」と呼ばれていた。メニューの引き出しが豊富だったことで、FC東京時代は四次元ポケットから「ひみつ道具」が出てくることになぞらえて、「ドラえもん」というあだ名で若手から親しまれている。
「体型もプラスして、です(笑)。世の中の指導者は既存の練習メニューを探そうとするけど、僕は自分でいくらでも作り出せた。アイデアなんて尽きることないのに、って思ってましたね」
自身の指導スタンスは「興味を持ちながら放っておく」と公言しているが、接しやすい安間の存在は選手が放っておかないのかもしれない。練習場を離れても、選手寮で試合映像を通じてアドバイスを求められるのは日常茶飯事だった。
「なぜか知らないけど、『寮で試合を見ましょう』って声をかけてくる選手が多かった。一緒に見ながら、『今、ここがお前と違うんだよ』みたいに僕から言われるのが好きだったみたいです(笑)。FC東京の時もそうでしたね。もちろん、試合を見ただけじゃなくて、その後には練習に刷り込んであげる。『今、どうやるんだ?』とか『あと2メートル外側にポジションを取れば、このパスコースがクリアに見えるだろ?』って伝えていました」
試合で見た映像を頭で整理し、翌日の練習で身体に染み込ませる。それがすぐに結果に反映されるほど分かりやすい世界ではないが、根気強く続けていると公式戦のどこかのタイミングで選手がそれを表現して活躍することがある。その瞬間の笑顔を見るのが、指導者としての喜びでもあった。
「それでその子が評価されるんだったら、いいですよね。自分は指導者として欲がなさすぎるって言われるんですけど、満足しています。損をしているなんて一度も思ったことがない。楽しんでいますからね」
2016シーズンからはJ3を戦うFC東京U-23監督を兼務した。
そこで出会ったのが、バルセロナのカンテラ育ちで日本中の注目を集めていた久保建英だ。2015年に帰国し、FC東京の下部組織で経験を積みながら、J3のFC東京U-23対AC長野パルセイロ戦で初出場。Jリーグ史上最年少記録を塗り替える15歳5か月1日でJリーグ出場を果たしている。
「建英に関しては自分が何か特別な技術を教えたわけじゃないですよ。行き詰まっているならヒントを与えて目線を変えてやることもできるけど、そもそも行き詰まってすらいなかった。いい指導者っていうのは『適切な刺激を与えられる人間』です。じゃあ、建英にとっての刺激は何かって言ったら、場所を用意してあげること。だからJ3(FC東京U-23)の試合にどんどん放り込んだんです」
当時15歳の久保を、屈強な大人たちがひしめくJ3のピッチに立たせることについては、「日本の宝が怪我をしたらどうするんだ」「骨でも折られたら責任を取れるのか」などといった批判や疑問の声も届いたという。しかし、久保のプレーを間近で見ていた安間には確信があった。
「そんなことで怪我をするわけがない、って思っていましたよ。身体の当て方や外すタイミングを肌で学ばせるのが一番の成長になるんだから」
2017年11月、久保は16歳でFC東京とプロ契約を結んでいる。
この時期、トップチームは篠田善之監督解任に伴い、安間が暫定監督に就任していた。そして久保のJ1デビューは安間体制で果たしている。その才能の異次元さを、安間は鮮烈なエピソードとともに記憶している。
「エディオンスタジアムでの広島戦でした。建英が左斜め45度から強烈なライナーのシュートを放ったんだけど、惜しくも枠を外れた。『惜しかったな』って声をかけたら、建英は不機嫌そうに『いや、惜しくないっす』って言ったんですよ。『キーパーの手前でワンバウンドさせてタイミングを外そうとしたのに、ダイレクトで真っ直ぐ飛んじゃった』って。16歳があのスピードのシュートを打ちながら『GKの手前でバウンドさせる』なんて計算して打っていたんです。外れたことじゃなくて、イメージ通りに落とせなかった自分にイライラしている。とんでもない奴だと思いましたよ」
原石を磨き、より刺激的な舞台へと送り出す。安間貴義の眼差しは、常に選手たちの未来を輝せることに向けられていた。(文中敬称略、第6回に続く)
(いしかわごう / Go Ishikawa)

いしかわごう
いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。
















