無名の高校生→A代表へ「何度も挫折した」 JFLから這い上がり…追い続けた兄の姿「負けたくないと」

A代表に初招集となったFW谷村海那【写真:徳原隆元】
A代表に初招集となったFW谷村海那【写真:徳原隆元】

谷村海那が語った実兄への思い

 28歳でA代表初招集となったFW谷村海那。2020年に国士舘大から当時JFLだったいわきFCに加入すると、ストライカーとして存在感を放つようになり、チームとともにJ3、J2と駆け上がっていった。2024年シーズンにはキャリアハイとなる18ゴールをマークしてブレイク。2025年7月に横浜F・マリノスに完全移籍し、個人昇格を果たすと、その勢いのままA代表まで登り詰めた。

 そして、9月28日のキリンチャレンジカップ・ベネズエラ戦で後半36分にMF田中聡に代わって投入され、待望の代表デビューを飾った。

「10人だったので、チームとして最低限のフェーズをこなすことを意識しました」

 当初は上田綺世との2トップを組んだが、投入直後にCB渡辺剛が負傷し、交代回数を使い果たしていたため、急遽[4-4-1]の左サイドハーフに回った。慣れないポジションだったこともあり、持ち前のゴール前での勝負強さは発揮できず。それでも、「デビューしたのは自信になる」と、刻んだ大きな一歩に胸を張った。

 谷村といえば、真っ先に思い浮かぶのは3学年上の兄・憲一だ。兄は189センチのサイズと正確な足もとの技術を持つレフティーボランチで、岩手の名門・盛岡商業高では1年から攻守の要として君臨。ダイナミックかつイマジネーションあふれるプレーを見せ、1年生とは思えない存在感を放っていた憲一に魅了された。

 そんな憲一が3年生になった時に、弟がいることを知った。弟は中体連でプレーし、同じようにサイズがあって、かつ点を取れるストライカーだと聞いて、強い興味を持った。

 てっきり兄を追って盛岡商に入ると思っていたが、2013年に盛岡商の試合を見に行くと、弟は県内の新興勢力・花巻東高に進んだという話を聞いた。少し意外だったが、2年生になるとチームのエースストライカーとして10番を背負うようになった。

「盛岡商には入れませんでした。でも、それであれば(入学する)花巻東を強くして全国大会に初出場をして歴史を刻みたいと思ったんです」

 結果として盛岡商、遠野高といった伝統校の壁は厚く、全国大会には一度も出られなかった。それでもチームを選手権岩手県予選で2年連続ベスト4に導くなど、不動のエースとして君臨し続けた。

 取材した試合で彼は181センチのサイズとスピードを生かした前への推進力と、裏抜けからのシュート、ミドルシュート、テクニカルなループシュートなど、多彩なフィニッシュを見せた。兄とはまた違うサッカーセンスを披露し、ポテンシャルの高さは十分に感じ取ることができた。

 高校卒業と同時にプロ入りし、2013年にモンテディオ山形に加入した兄とは異なり、全国に名を知られた存在ではなかったが、素材はピカイチだった。花巻東自体が国士舘大と縁がある高校だったこともあり、練習試合を通して高い評価を受け、東北の無名のストライカーは関東の強豪大学に進学。国士舘に行くと聞いた時は、ここから頭角を現してくるのではないかと期待を抱いた。

 だが、大学でも苦しい時間が続いた。ボランチ、サイドハーフ、トップ下、時にはサイドバックなど複数のポジションをこなすようになったが、激しいチーム内競争に苦しんだ。

 1年生の時に関東大学サッカーリーグ1部の専修大戦でデビュー戦ゴールこそ叩き込んだが、そこからは出番を失うことが増え、2年生、3年生は苦悩の時間を過ごした。それでも黙々と努力を重ね続け、4年生になってようやくボランチとしてチームの攻撃の中枢を担うまでに成長した。

 そして、いわきFCに加入してからはFWにコンバートされた。

「FWは点を取らなければ『いらない』と言われるし、取ったら『もっと取れ』と言われる。本当にシンプル。自分には結構そのシンプルさが合っていた」

 高校時代の自由なプレースタイルに加え、大学で培ったハードワーク、複数のポジションをこなす中で磨いた創造性と思考力、そして身体能力をさらに進化させ、絶対的なエースストライカーへと成長を遂げた。

 スタートこそJFLだったが、抜群のポテンシャルと積み重ねてきた努力は彼を裏切らなかった。前述した通り、ストライカーとしてJFLから一気に日本のトップレベルまで駆け上がっていった。

 一見、シンデレラストーリーのように映るが、兄譲りのセンスと、コツコツと努力を積み上げていく根気強さが、彼を「いるべき場所」へと引き上げていったのだった。

 ベネズエラ戦翌日の練習後のミックスゾーン。改めて高校、大学時代に何を考えてサッカーに向き合っていたのかと聞くと、少し考えてからこう口にした。

「ずっと兄に負けたくないと思ってやっていました。兄は僕より身長が高くて左利きで、可能性としては僕より日本のトップクラスでやれた力を持っていたと今でも思います。才能では兄の方が上だったと思うからこそ、僕は余計に負けたくないと思いましたし、兄を超えることができたら僕もプロの世界に行けると思っていたので、よりサッカーに向き合うことができました。

 ただ、国士舘に入ってからは周りとのかなりのレベル差を痛感して、何度も挫折をしました。もうサッカーを辞めようかなと思うことも何度かあったのですが、その度に大澤英雄監督(故人)に『とにかく頑張れ、親を悲しませるな』と言葉をかけてもらって、やり続けることができました」

 サッカーの厳しさ、現実の厳しさをこれでもかと味わいながらも、自分を信じ続け、一つずつ積み重ねてきたことでたどり着いたA代表の舞台。

 だが、代表デビューはゴールではない。FWとして生きる道を見つけた彼にとって、ここから先に求められるものも極めてシンプルだ。ゴールを奪うこと。

 J1の点取り屋から、日本の点取り屋へ。谷村海那が積み重ねてきた物語は、まだまだその途中にある。

(安藤隆人 / Takahito Ando)



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安藤隆人

あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』、新刊は『ともに歩き出す サッカーと家族と新しい日常』(ともに徳間書店)。講演家としても全国を回っている。元・名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター(2022年〜2026年4月)、現・國學院大學体育連合会蹴球部コーチ。

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