“ミスターJFL”→異端の監督へ「絶望を味わった」 サラリーマンチームで「アジア最強」に挑んだ男

ジュビロ磐田U-21監督兼U-18監督の安間貴義【写真:井上信太郎】
ジュビロ磐田U-21監督兼U-18監督の安間貴義【写真:井上信太郎】

四半世紀に及ぶ指導者キャリアの原点

 かつて「ミスターJFL」と呼ばれた安間貴義氏は今、ジュビロ磐田U-21監督兼U-18監督として指揮を執っている。「現場しかできないし、現場以外面白くなさそうだしね」。そう語る男の指導者キャリアが始まったのは24年前。その長い道のりの原点にあったのは“アジア最強”と呼ばれたクラブの姿だった。(取材・文=いしかわごう/全7回の1回目)

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 8月23日、ヤマハスタジアム。

 熱気がわずかに和らぎ始めた夕刻、ピッチには公式戦の緊張感と若者たちの荒い息遣いが満ちていた。

 今季から新設されたU-21 Jリーグ。その開幕戦でジュビロ磐田U-21は、川崎フロンターレU-21と対戦していた。ホーム側ベンチの前では、鋭い眼光をピッチに注ぎ続ける指揮官の姿があった。

 安間貴義監督である。

 ジュビロ磐田U-18監督に就任した昨年は、リーグ戦残り7試合でトップチームの指揮を任された。5勝1分1敗と巻き返してJ1昇格プレーオフ進出を果たしたが、準決勝で徳島ヴォルティスと引き分けてJ1復帰の切符には届かず。今季は再び育成の根幹であるU-18監督に戻り、新設されたU-21の指揮を兼務している。

 現在57歳。元Jリーガーではないが、指導者として四半世紀にわたり日本のフットボール界に身を置き続けている。現場でのキャリアが途切れたことはない。すっかり白髪の似合う年齢になったが、どこか青年の面影も残す安間は、自らの指導者人生を振り返りながら屈託なく笑う。

「ずっと現場じゃないですかってよく言われるけど、現場しかできないし、現場以外面白くなさそうだしね。やりたいことが向こうから来ちゃう。『やりたい』っていう衝動を大事にしているから、それがなくなったら指導者をやめるかもしれないけど、やりたいことばっかり出てくる。それに、サッカーを見る目はいつまでも小学5年生のまま(笑)」

 安間が指導者のキャリアを歩み始めたのは2002年だ。

 選手としては1992年から本田技研工業(現在のHonda FC)に所属し、3度のJFL優勝に貢献。自身はベストイレブンに4度選出され、MVPも受賞するなど「ミスターJFL」と呼ばれるプレイヤーだった。だがプロ選手契約を終了する会社の方針により、2001年に31歳で現役を引退。翌年からコーチの経験を経ずに、監督に就任することになったのだが、いきなりJFL優勝を達成している。

 従来のHondaは、屈強なFWにロングボールを放り込み、個の力でねじ伏せるカウンターが主流だった。だが安間はその従来のスタイルから変換し、「自陣ペナルティーエリア内でのクリア禁止」「ワンツーで剥がせ」と選手たちに厳命するなど、徹底したポゼッションフットボールをチームに叩き込んで、JFL優勝を成し遂げたのだ。

 このとき、指導者として大きく影響を受けた存在がある。

 それが、浜松市に隣接している磐田市のクラブであるジュビロ磐田だった。安間はヤマハスタジアムに熱心に足を運び、スタンドから鋭い視線をピッチへ注ぎ続けていた。サッカー関係者としてチケットを融通してもらうこともできたが、自腹を切ってチケットを買い求めていた。

「知り合いもいたのでチケットはもらえたんですよ。だけど、ちゃんとチケットを買ってスタンドから試合を見ていました。お金を払って見るサッカーをしていましたから」

 2002年のジュビロ磐田といえば、Jリーグ史上初の両ステージ制覇による完全優勝を達成した年である。名波浩、藤田俊哉、福西崇史、服部年宏、鈴木秀人、田中誠、そして前線に君臨する高原直泰と中山雅史。日本代表経験者が並び、名波を中心とした「N-BOX」が猛威を振るい、その強さは「アジア最強」とも称された。

 それは新米監督だった安間にとって最良の教材であり、同時に自身のサッカー観を根底から打ち砕かれる相手でもあった。

 土地柄もあり、磐田とは日常的に練習試合をする機会が多かった。サテライト(控え)チームに勝つようになると、次第にAチームが出てきてくれるようになる。当然ながら、企業チームのHondaではまるで歯が立たない。指導者ライセンスのために勉強をしているタイミングで、机上の理屈では絶対に敵わない相手がいる現実を目の当たりにした。

「ボールを奪いに行っても取れるわけがない。サイドに人数が揃っていてもパスを振られて、川口信男がサイドを走ったら一発で置き去りにされる。『数的優位って一体何なんだ?』って本気で思いましたよ(笑)」

 奪いに行っても取れないので、「自陣に引いてブロックを組む」ことで対抗しようとした。教科書通りの守備網を張り、中央を締め、スペースを消す。陣形は完璧に保たれており、守備側が有利なはずだった。しかし、そのブロックの間に精密なパスを通された。陣形が崩されていないはずなのに失点してしまう現象が起きていた。

「3バックで中山さんと高原の2トップをしっかり挟んでいるはずなのに、ブロックの隙間にピンポイントのパスを名波が通してくる。崩されてないのに、やられちゃう。だから、今でも言うんですよ。『やられていることに気づいてないチームが世の中に多すぎる』って。形だけ綺麗にして守れている気になっているけど、実際には相手の思い通りにやられている。あのジュビロを相手にして、ブロックを作ることの無意味さを散々知らされました」

■「強いチームの基準が刷り込まれた」

 試行錯誤は続いた。今度は果敢に前に出て、ボールにチャレンジすることを徹底した。出所となるボールホルダーが顔を上げる前に、複数人で一斉にプレッシャーをかけ続けていく。その光景はボールに群がる小学生の団子サッカーのようだったそうだが、左右へ絶え間なくスライドを繰り返せば、前半の45分間ならば0-0で抑えられることはあった。しかし、とてもじゃないが90分は持たない。

「45分で息が完全に上がっちゃう。後半も同じことをやったら、間違いなく5点取られるっていうのが嫌というほど分かるわけです。守るだけで精一杯で、攻めることなんて一切できない。だって、サイドチェンジで逆サイドに振って1対1を作っても、そこで待っているのが日本代表選手ですから(笑)。でも、その絶望を味わったからこそ、『強いチームの基準』がどこにあるのかが刷り込まれたんです」

 球際、ハードワーク、切り替えの早さ――現代サッカーで誰もが口にする言葉の「本当の基準」を、安間は隣町のアジア最強チームから直接叩き込まれながら、指導者としての糧にしていった。

「球際やハードワークって、誰だって言うじゃないですか。でも、その基準をどこに設定するかは人によって全然違いますよね。自分は当時のアジア最強を肌で知ったからこそ、その基準が跳ね上がった。そして、その基準に選手を到達させるための練習方法や伝え方も、自分自身でゼロから作り出すしかなかったんです」

 教科書が通用しない現場で、己の頭と目だけを頼りに答えを導き出していく。それによってセオリーに縛られず、柔軟な発想や想像力も指導者として養われた。そうやって「アジア最強チームをサラリーマンチームで倒すにはどうすればいいのか」に挑み続けた。結局、磐田相手に全然勝てなかったと笑うが、客席から仰ぎ見たアジア最強の背中こそが、安間貴義という指導者の確固たる土台となっていったのである。

 現在、安間はジュビロ磐田のエンブレムを胸につけた指導者として活動している。

 去年はトップチームの監督として指揮も執った。そんな巡り合わせを「違和感しかない」と冗談めかして話すが、現在の磐田はJ2のカテゴリーを戦っている。黄金期を知り、自らの土台を形成してくれたからこそ、クラブ再建に対する思いは強い。

「ジュビロといえば、自分の中ではやはりあの黄金世代。だけど、いつまでもそこにしがみついていちゃダメだと思っています。今のジュビロは紙飛行機のようなもの。飛んでいるつもりだけど、ふとした瞬間に落ちてしまう。だから、もう1回エンジンをつけて飛べるようにしなきゃいけない」

 失ったものを取り戻すために。そして高く飛び続けるために。

 U-18とU-21の監督を兼任しながら、未来のエンジンを創り出す日々に、安間貴義は向き合い続けている。

(文中敬称略、第2回に続く)

(いしかわごう / Go Ishikawa)



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いしかわごう

いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。

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