後悔と未練の14年間「もっと真剣に取り組んでいたら」 遅れた気づき…元J戦士の軌跡「もったいなかった」

かつて浦和などでプレーした高崎寛之氏【写真:河野 正】
かつて浦和などでプレーした高崎寛之氏【写真:河野 正】

国内全公式戦380試合出場、94得点のフットボーラー人生

 現在、農家としてセカンドキャリアを送る高崎寛之氏は、Jリーグ9クラブのほかアマチュアでもプレーし、14年間の競技生活を送った。ただ、その長きにわたる時間は後悔、未練、不本意の言葉が並ぶものだったという。「違ったサッカー人生だったかもしれません」。高崎氏は今も何を悔いているのか。(取材・文=河野正/全5回の4回目)

   ◇   ◇   ◇

 4シーズン在籍した松本山雅との契約が2019年をもって満了となり、次なる職場がFC岐阜に決まった。高崎にとっては初のJ3クラブである。

 岐阜は2001年に創設され、7年後にJリーグへ入会した若いクラブだ。2007年の日本フットボールリーグ(JFL)で3位に入り、翌年からJ2で戦ってきたが、2019年は最下位に沈んで初のJ3降格。高崎はその1年目に当たる2020年に移籍してきた。

 新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るうなか、リーグ戦は32試合(先発18)に出場してチーム2位の8点を挙げた。J1ジュビロ磐田で史上初の2年連続得点王に輝いた元日本代表FW前田遼一が、高崎より1年早く加入。序盤は先発した前田との交代出場が多かったが、中盤戦以降は大半の試合で先発に名を連ね、得意のヘディングとポストプレーで攻撃の中心となった。

 鹿児島ユナイテッドとの第7節では、前田に代わって後半開始からピッチに立つと17分間でハットトリックを達成。2016年に松本山雅で3得点して以来、プロでは2度目の勲章を手にした。

 岐阜は18チーム中6位とまずまずの成績を残し、クラブは契約更新を申し出たが断った。高崎は「いろんな観点から考えたのですが、どうしても自分が思い描くプロサッカー選手というイメージを定着させられなかったんですよ」と抽象的な説明をした。煮え切らない何かが高崎そう思わせたのだろう。本人にしか分からない何かが……。環境を変えようと移籍先の調査に入った。

 ベトナム1部リーグのサイゴンFCが、日本人選手の獲得に動いていると聞いた。

 サイゴンFCは2020年からFC東京とクラブ運営で連携し、翌年はFC琉球とパートナーシップを結び、2022年にはアスルクラロ沼津とも業務提携を交わした。横浜FCから元日本代表MF松井大輔を獲得するなど、日本サッカーに急接近した時期でもあった。

 初めて海外挑戦することになった高崎は、松井より1か月遅れの21年1月、単身赴任の形で現地入り。松井のほか、現J3カマタマーレ讃岐のMF禹相皓、元FC岐阜のMF苅部隆太郎というJリーグ経験者4人で同じマンションに生活した。

 ベトナムはフル代表が東南アジア選手権で3度頂点に立ち、五輪世代はU-23アジア選手権で2018年に準優勝し、今年は韓国を破って3位に入る実力を秘める。代表チームの人気が高い一方で、国内リーグは盛り上がりを欠いたそうだ。ただサイゴンFCに限っては、松井が観客動員にひと役買ったという。

 そんな閑古鳥が鳴くリーグ戦は、新型コロナウイルスの感染拡大が収束しないことから6月で打ち切られ、高崎をはじめ外国人選手は全員が契約解除となった。しかし正式な通達がないまま、約1か月間放置されたという。高崎は3試合しか出場できずに無念の帰国を強いられた。

 深刻なパンデミックのなか、当地ではどんな日常を送っていたのか。「外出禁止で警察が街中を巡回していたので、買い出しにも行けなかったんです。退屈といえば退屈ですが、マンションにはプールもありました」と、それなりの息抜きはできたようだ。「日本人の給料は振り込みでしたが、ベトナム人選手には現金で支払われ、紙袋の中に紙幣がたくさん入っていた」と笑う。

 やりきれない思いを胸に8月に帰国。身の振り方を思案するなか、ヴァンフォーレ甲府の佐久間悟社長に相談し、練習参加を経て10月から3か月の短期契約を結んだ。佐久間は駒澤大学の大先輩で、高崎が2012年に在籍した時の甲府のゼネラルマネジャーでもあった。

 3試合に22分出場しただけで契約は終わったが、現役には未練が残った。12月初旬にあった合同トライアウト(加入テスト)に参加し、長野県松本市内の自宅で翌年2月まで朗報を待った。当時JFLの奈良クラブと高知ユナイテッドからオファーが届いたが、単身赴任に要する金と家族の生活費にかかる額を考えたら、収支のバランスが悪く見送った。

 甲府は2022年3月2日に現役引退を発表。「引き際だなと思ってスパイクを脱ぐ決断をしました」と少し寂しそうな表情で往時を思い返した。浦和でキャリアをスタートさせ計9クラブに在籍。Jリーグ通算344試合に出場して86得点、国内全公式戦では380試合で94点という数字を残した。

 プロ選手は退いたがアマチュアとしての活動は続け、アンテロープ塩尻に2022年から4シーズン在籍。北信越リーグの1部と2部を戦ったが、長野県リーグ1部に降格した今季からコーチに就いた。

 プロフットボーラーでいた歳月を回想してもらうと、後悔、未練、不本意の14年間だったことが伝わってきた。

「新人の頃に戻ってもう一度やり直せるとしたら、あの時の3倍も4倍も練習したい。やっぱり浦和に入れて満足していた自分がどこかにいたんだと思います。若手だけで自主トレしたけど、それでは足りなかったということ。トレーニング量が一番多かったのが松本時代で、合同練習後にシュートなど1時間は居残りで励み、筋トレも週に3日やりました。そういった大事なことに気づくのが遅くてもったいなかった。新人の頃からもっと真剣に取り組んでいたら、違ったサッカー人生だったかもしれませんね」

 そんな苦い思いがあればこそ、キャリアチェンジでは“新人”の頃から農業への精励を忘れなかった。(文中敬称略、第5回へ続く)

(河野 正 / Tadashi Kawano)



page 1/1

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング