熱烈オファーも「お断りしました」 指揮官からまさかの推奨…強行移籍の舞台裏「バッグひとつで」

かつて鹿島などでプレーした高崎寛之氏【写真:河野 正】
かつて鹿島などでプレーした高崎寛之氏【写真:河野 正】

松本山雅への移籍に難色も「どうしても来てほしい」

 現在は農家に転業し、経営者としての才覚を発揮する高崎寛之氏は、現役時代にJリーグ9クラブでプレー。最長の在籍期間となった所属先は、熱心な誘いを受けて加入した松本山雅だった。そこで高崎は、日本代表として現在も活躍を続けるある選手との出会いを果たす。「別人になっていた」。間近で目にした若き日の進化を語った。(取材・文=河野正/全5回の3回目)

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 2016年1月、モンテディオ山形から“出向元”の鹿島アントラーズに復帰。同18日から宮崎県で行われた強化合宿では、コンディションの良さを保って紅白戦で連日ゴールを決める好調ぶり。前年の第1ステージで無得点に終わった悔しさもあり、心機一転の思いが強かった。

「あと2年、鹿島でしっかり結果を残して納得のいくシーズンを送れたら、引退してもいいという覚悟を決めていたんです」

 新シーズンに懸けるモチベーションが最高潮だったそんな矢先、代理人から思いもよらぬ話を持ち掛けられた。J2松本山雅がストライカーを照会し、高崎を最有力候補に選定しているというのだ。

 フラメンゴやパルメイラスの名門で活躍したブラジル人FWオビナが、フル出場した開幕戦後にアキレス腱を痛め、回復までに時間が掛かるという事情があった。「反町(康治)監督にも誘われましたが、鹿島で2年頑張ると決めていたのでお断りしました」。それでも第4節を終え、3試合で無得点と決定力不足にあえぐ松本山雅は「どうしても来てほしい」と懇願した。

 三顧の礼を尽くされた高崎は、鹿島の石井正忠監督にオファーがあることを報告したうえで、チーム内での自分の立ち位置を確認。指揮官は金崎夢生やカイオ、土居聖真がいて鈴木優磨も育てたいという意向を示し、期限付き移籍を勧めた。言葉を濁さず正直な考えを伝えてもらったことで、松本行きの腹が固まった。

 当時の第1登録期間(ウインドー)は4月1日に締め切られたが、背番号29の高崎は6日前の3月26日に追加登録された。「妻を鹿嶋に残し、バッグひとつ持って寮に入りました。合流から3日間練習して試合に出る強行軍」と述懐する。

 4月3日のV・ファーレン長崎戦に先発すると、11月20日の横浜FCとの最終節まで37戦連続でピッチに立ち、36試合に先発した。不動の1トップとして攻撃の核となり、リーグ6位タイの16ゴール。16試合連続無敗記録に貢献する。

 第12節の東京ヴェルディ戦で、プロでは初のハットトリックを完成させたが、4日前のセレッソ大阪戦で左手首を骨折。「ギプスを巻いたら試合に出られないので、医師に頼んでいつでも取れるように固めてから半分に切ってもらいました。そんな状態でハットですからね」と苦笑する。

 チームは清水エスパルスと勝ち点で並んだが、得失点差で及ばず3位で自動昇格を逃し、プレーオフも準決勝でファジアーノ岡山に屈した。

 背番号が9に変わり、完全移籍した2年目はさらにパワーアップ。40試合に先発し、リーグ3位タイの19点を挙げた。だが8位でまたしてもJ1昇格を逃し、「点を取ってもいいシーズンではなかった」と悔しがった。

 2018年に“3年目の正直”が訪れた。先発の機会がやや減り、得点も7点に後退したものの、攻撃の中心として41試合に出場。「プレースタイルは変わらなかったが、アシストを意識してチームプレーに徹した。初優勝と4年ぶりのJ1復帰なので大満足でした」と顔をほころばせる。

 高崎は翌年の契約更改の席上、年俸アップと単年契約を提示するクラブに対し大胆な要望を願い出た。J1での厳しい戦いを予想し、給料は半分でいいから2年契約を切願したのだ。「チーム一の高額年俸だったので、降格したら契約満了は免れませんよ。それなら給料を下げても複数年契約にしてもらうのが得策だと考えたからです」と説明。だが要請は受け入れてもらえなかった。

 J1では永井龍やレアンドロ・ペレイラが先発で起用され、控えが多くなった高崎は18試合(先発4)の出場にとどまった。終盤はベンチ入りもなく、屈辱の無得点で松本山雅での最終シーズンを終えた。在籍4年は所属9クラブの中で最長だった。

 チームは17位であえなく降格。総得点21は18チームで争ったJ1では歴代3番目に少なく、最多が永井の3点では勝てるはずもなかった。

 浦和、徳島ヴォルティス、鹿島、山形に続くJ1の舞台は後悔ばかりが募る。だが忘れ得ぬ“出会い”があった。

 2016年加入の同期、前田大然だ。2年目に水戸ホーリーホックへ期限付き移籍すると、現解説者の林陵平に次ぐ13点を挙げた。往時から韋駄天ぶりは知られていたが、18年に古巣へ復帰してからはJリーグを代表するスピードスターに栄達する。

「速すぎて1年目はドリブルしても足もとにボールがつかなかったんです。トラップも下手だったのに、水戸から帰ってきたら別人になっていた。結果を残したことで自信がついたんでしょうね」

 復帰すると間もなくシャドーのレギュラーに抜てきされ、1トップの高崎が頭で落としたボールに反応。2018年は高崎と同じ7点を挙げ、初優勝に力を貸した。翌年7月、CSマリティモ(ポルトガル)に期限付き移籍し、チームには戻らなかった。

 高崎が評価するのは速さと得点力ばかりか、その献身ぶりだ。「チームのために走る、スプリントする、ディフェンスもする。守りは僕らの1.5倍くらいやってくれたので、得点以上に存在感があった。勝ち気で寡黙で親しみやすい男でした」と嬉しそうに横顔を紹介する。

 日本代表として4年前と今回のワールドカップで2大会連続得点。「4年後は一番脂の乗っている頃じゃないですか。大きな仕事をして最後は松本に帰ってきてくれたら」と柔和な表情で遠くを見つめた。(文中敬称略、第4回に続く)

(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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