鹿島から舞い込んだオファー「びっくりしました」 名将が惚れ込んだFW…確立できなかった地位「耐えられなかった」

トニーニョ・セレーゾの脳裏に刻まれた1試合
大学屈指のFWとして活躍し浦和レッズでプロデビューを果たすも、現役時代には高い潜在能力を出し切れなかった高崎寛之氏。プロ生活でJリーグの8クラブを渡り歩いたなか、本人にとって“予想外”と言えたキャリアが常勝軍団・鹿島アントラーズでのプレーだ。「あれにはびっくりしました」。そう語るオファーはなぜ届いたのか。高崎が感じた“常勝”の正体とは――。(取材・文=河野正/全5回の2回目)
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高崎は2013年、J2ヴァンフォーレ甲府から4クラブ目となるJ2徳島ヴォルティスに完全移籍したが、14点でチーム得点王の津田知宏、12点のドウグラスに見劣りする2得点と精彩を欠いた。出場は42試合中25試合で先発は11回にとどまる。
シーズンを通して好調を堅持した徳島はリーグ戦を4位で終え、J1昇格プレーオフも制した。高崎は京都サンガF.C.との決勝で、3トップのセンターフォワードを任されて先発。前半43分、右サイドバック藤原広太朗のロングパスを頭で落とし、津田の2点目につなげた。
初舞台のJ1開幕前、強化担当者は高崎に対し、FWの格付けとしては下位に位置すると伝えた。ところが初先発した第3節の横浜F・マリノス戦からエース格として見直され、30試合(先発28)でチーム最多の7ゴールをものにする。だが徳島は最下位に沈み1年限りでJ2に陥落。クラブは契約更新を持ち掛けたが、高崎には鹿島アントラーズからオファーが舞い込んでいた。
「いやあ、あれにはびっくりしました。大学4年の時にも誘われていたのですが、断って浦和に入った経緯があるのでまさかと思いました。鹿島から移籍を提案されても合わせる顔がないなって感じでしたが、監督が直接『徳島のあのフォワードがほしい』と言ってくれたそうで、本当に嬉しかった」
徳島は5月17日の第14節で鹿島と対戦し0-1で敗れた。だがフル出場した高崎は、堅陣を誇る昌子源と植田直通の両センターバックに空中戦でほとんど競り勝ち、くさびのパスも完璧に懐に収めた。この残像が強く頭に焼き付いていたトニーニョ・セレーゾ監督が、強化責任者に獲得を依頼したという。
エースFWダヴィが10月18日の柏レイソル戦で、左膝の前十字靭帯と半月板を損傷し全治8か月の重傷を負った。そんな事情もあって指揮官は、翌シーズンを見据えて高崎に白羽の矢を立てたのだろう。
2015年は金崎夢生とジネイが加入し、鈴木優磨が鹿島ユースから昇格。11年ぶりに2ステージ制が復活したシーズンだ。
第1ステージでの高崎は開幕戦から先発に名を連ね、17試合のうち13試合でピッチに立ち、うち7試合がスタメンだった。だが肝心のゴールを1つも奪えなかった。高崎は首をひねりながら少し考え、「常勝チームでプレーする重圧ではないけど、目に見えない何かに耐えられなかったんだと思う。それが自分の弱さなのかもしれませんね」と言葉を選びながら話した。
なかなか初ゴールを挙げられず、先発の機会が減ってきた頃、東京都内にあるメンタルクリニックに通い始めた。個室に入りマンツーマンで講師の話を1時間ほど聞いているだけだが、すっきりした気分になったという。講話の途中にハイタッチを取り入れ、ポジティブな思考やいいイメージに持っていく暗示のような施術だそうだ。
2016年から4年間所属した松本山雅でも、不調に陥ると都内まで3時間以上かけて通った。
浦和に在籍し、結果を出せなかった3シーズンを回顧した時も、「メンタリティーが備わっていなかった」とか「どこかメンタルが弱かった」と述べている。
鹿島は第2ステージ第3節で松本山雅に敗れると、高崎にラブコールを送ったセレーゾ監督を解任し石井正忠コーチを昇格させた。
第2ステージに入ると高崎は帯同メンバーからも外れ、「このままでは駄目になる、終わってしまう」と現状を憂慮。浦和から水戸ホーリーホックへ期限付き移籍した時、契約期間を1年残しながら甲府から徳島に完全移籍した時と同じく、環境を変える道を自ら選んだ。
代理人にJ1クラブを探してもらうとモンテディオ山形から声が掛かり、7月29日の第5節に追加登録された。
鹿島での得点は結局、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の広州恒大とのグループリーグ2試合で挙げた2点に終わった。それでも常勝クラブで過ごした半年間は貴重な経験だったはず。何を学び、どんなことを吸収したのか?
「和気あいあいといった雰囲気はまるでなく、とにかく自分ありきでしたね。練習でも自分の意見しか言わないし、主張を貫き通します。いい意味で我の塊ですよ。それでもチームには一体感があり、言い合ってもすぐに和解します。しがらみが全然ない。鹿島のようなチームに籍を置くのは初めてだったので、これが強さの秘密なのかと感じました。トレーニングも長かった。シュート練習だけ2時間半くらいやりました。攻撃側と守備陣に分かれた練習が多かった」
山形には腕を見込まれて期限付きでやってきたというのに、主力FWという立場からはほど遠かった。先発は2試合だけで得点はゼロ、出場時間はわずかに249分だった。
半年のレンタル期間を終えて2016年に鹿島へ戻り、新シーズンに向けた強化合宿をこなした。今度こその思いを秘め、腕をぶして開幕を待った。ところがそんな折、意表を突かれる移籍話が持ち込まれた。J2松本山雅が大型FWを切望しているというのだ。
いったんは丁重に断りを入れたが、相手は粘り強く交渉を続ける。「自分のようなタイプの選手が必要だったんでしょうね」。かくして高崎は3月26日に追加登録され、松本藩の旧城下町でプレーすることになった。(文中敬称略、第3回に続く)
(河野 正 / Tadashi Kawano)
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。























