中田英寿は「3分で有益選手だと」 監督に“秘密”で獲得交渉…元ペルージャCEOが驚愕「人間を超越」

監督の知らないところで進めていた中田獲得の交渉
中田英寿氏が海外で初めてプレーしたクラブ、ペルージャに今夏、大きな変化が訪れた。中田氏が移籍した1998年当時、クラブの名物会長の長男で最高経営責任者(CEO)を務めていたアレッサンドロ・ガウチ氏がスポーツ部門の責任者として戻ってきたのだ。日本サッカー界のパイオニアを近くで見てきたガウチ。そんな同氏に中田氏獲得の経緯や感じた人柄、再建を目指すクラブで新たに日本人選手獲得の可能性があるかについて語ってもらった。(取材・文=倉石千種)
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――中田英寿がペルージャに移籍した当時は、日本のサッカーはあまり海外に知られていませんでした。どうしてペルージャに連れて来たいと思ったのですか?
「ある日、ガレックス(ペルージャのオフィス)にマドリード在住の代理人がやって来て『日本に非常に強い選手(中田英寿)がいます。もしビデオを見ていただけたらいいビジネスになります』と言ったんだ。『商業的に利益になる』とも。僕は選手がスタメンでプレーした時だけビジネス的に利益が出るけど、イタリアに来てもプレーしないことには、ビジネスには全くならないと答えた。それでも、ヒデのプレーを見てみたいとリクエストした。
プレー映像のVHSを見終えて3分後にはヒデが我々のチームに有益な選手だと判断した。そして、当時の(イラリオ・)カスタニエール監督にも見せた。監督は初め、そんなに気に入ってはいなかった。でもその後、フランスワールドカップ(W杯)でのプレーを観たことで、カスタニエール監督は中田の価値を理解したんだよ。カスタにエール監督は、僕に電話してきて『優秀な選手だ。いい選手の獲得になる』と言ってきたくらいだから。
ただ、そのときすでにヒデの獲得交渉を進めていた。監督の知らないところで。そして、ヒデがノルチャ(ペルージャ近郊の山)での合宿に来ると、カスタニエール監督は、『この選手は今まで指導した選手の中で一番強い選手だ』と喜んでいた。みんながヒデの獲得を進めたことを喜んで、満足していた。みんなが納得したんだ」
――何がほかの選手と違うと感じ、何に驚きましたか?
「彼はスピードのある、現代的なサッカーに合っている選手だった。技術的にも非常に優れていて、逆足の左足でも問題なく蹴ることができる。そして非常にダイナミックな動きもする。攻撃面では非常に優れていたが、獲得当時は守備面で弱点があった。それでも、イタリアにいて向上した。イタリアのサッカーに当時は慣れていなかっただけなんだ」
――中田英寿の移籍に何か裏話はありましたか? 例えば、初めは前園真聖を獲得しようとしていたとか?
「ノー。ただ、ヒデのあとにほかにも獲得したかった選手はいる。中村(俊輔)、小野伸二、小笠原(満男)……当時の代表にはいい選手が揃っていた。特に中盤にいい選手が多かった。だから、僕たちはよく映像でも追って、プレーを注目して見ていたよ。
ヒデがローマに移籍してから、僕は日本へ行って横浜F・マリノスで活躍していた中村の獲得に懸命に乗り出した。中村は違う選択をしたけどね」

――ここ最近で、中田英寿と話をした機会はありましたか?
「ノー。でも、とても後悔と無念さが残っている。ヒデがペルージャに来た時には、イタリア語がそんなにできなかったけど、その後多くの機会で、彼がイタリア語を流暢に話しているのを見て、当時、彼とイタリア語で直接もっと話をしたかったなって思っている。もっとコミュニケーションを直接取りたかったよ。僕のキャリアで、中田は一番知的で賢い選手だったと思っている。常に僕はそう言っているし、言ってきた。もっと直接、彼と人間的な付き合いがしたかった。彼と話す時には常に通訳をかいしてだったし、これは人間関係的な意味において、ポジティブとは言い難いことだったと思っている。
いつか彼と会うことができたら、ゆっくり話がしたい。ものすごく会いたいし、ハグを固く交わしたいと切に願っている。僕のキャリアで、一番いい思い出を心に残してくれた人だから」
――中田英寿の何がそんなにガウチ会長の心に熱く刻まれたのですか?
「一番感動したことは彼のプロ意識だ」
――常に練習では一番早く来ていたことですか?
「そんなことじゃない。35年の僕のキャリアで彼ほどプロ意識の高い選手に会ったことがなかった。ほとんど人間を超越していた。プロ意識に関しては、人間じゃないみたいだったよ」
――足りないことを補うように常に努力に努めていた?
「それよりも、誰よりも頭がいい人なんだ。ほかの誰よりも優れていた。日本人がイタリア語を勉強するのは、どんなにか難しいか分かる? 僕が日本語を勉強するように……彼はイタリア人のように話すことができた」
――冗談を言うだけでなく、バットュータ(ポンポンと言い返すこと)ができてペルージャの方言も話していましたね。
「そうそう、バットゥータ! 極東に生まれた人間が、そこまでできるのには驚くよ! それはヒデの頭脳の良さが並大抵ではないという証明だ。だからいつかまた再会して、僕らの言葉(イタリア語)でバットゥータを言い合って、ハグしたい」

気になっている日本人選手
――ペルージャのCEOを退任し今年8月にクラブに復帰するまでの間、どのようなキャリアを歩んできたのか教えてください。
「ペルージャから退いたあと、2006-07シーズンにジェノアのエンリコ・プレツォージ会長から呼ばれて、その年のセリエA昇格に力を貸すことができた。そこからは、セリエAのほかのクラブからも呼ばれていたが、スペインで挑戦することを選んだ。アルゼンチンのブエノスアイレスにオフィスを構えて、南米から選手たちを連れて行き、多くの若い重要なプレーヤーをヨーロッパのクラブに移籍させた。
2010年からはスペインで生活を始めてカディスCFのGMを務め、マルベージャFCを経て、2022年からアトレティコ・マルベージャの会長をしていた。2回のリーグ優勝とカップ優勝を果たした。育成にも力を注ぎ、マラガに一番大きなユースを開設して、今ではそこで600人以上の若い選手たちがプレーしている。野心と大きな志を抱えた長期的プロジェクトを実現させたんだ。マルベージャは1997年に解体されたものの、2010年に新たなクラブとして創設され、ゆっくり直実にカテゴリーに上昇させている。そんな時に突然、このペルージャ再建のチャンスが訪れた。どうなるか見てみよう」
――ペルージャは将来的に日本人選手を獲得する予定はありますか?
「僕はもちろん日本人選手を獲得したい。問題はこのカテゴリー(セリエC)。セリエBでも獲得できない。というのも、外国人枠の獲得規則が大きな障害なんだ。セリエAに昇格できれば問題ない。セリエAに昇格できた暁には、確実に日本人選手を獲得しよう」
――日本人プレーヤーで誰か好きな選手はいますか?
「イエス。僕は今季リヨンに移籍した中村敬斗がとても好きだ。大きなポテンシャルがある。パリ・サンジェルマンのクヴィチャ・クヴァラツヘリアにプレースタイルが似ている。中村は将来性のある選手、力のある選手だ」
(倉石千種 / Chigusa Kuraishi)

倉石千種
くらいし・ちぐさ/1990年よりイタリア在住。1998年に中田英寿がペルージャに移籍した時からセリエAやイタリア代表、W杯、CLをはじめ、中村俊輔、本田圭佑、長友佑都、吉田麻也、冨安健洋など日本人選手も取材。バッジョ、デル・ピエロ、トッティ、インザーギ、カカ、シェフチェンコなどビッグプレーヤーのインタビューも数多く手掛ける。サッカーのほか、水泳、スケート、テニスなど幅広く取材し、俳優ジョルジョ・アルベルタッツィ、女優イザベル・ユペール、監督ジュゼッペ・トルナトーレのインタビューも行った。






















