悲願のJ1昇格→GM就任 レジェンドGKが目指す“欧州の光景”「人々を笑顔にさせる存在に」

水戸の本間幸司GM【写真:河野正】
水戸の本間幸司GM【写真:河野正】

水戸GMに就任した本間幸司が目指すもの

 プロのキャリアをスタートさせたJリーグ浦和レッズでは公式戦出場が1度もなかったが、1999年4月に日本フットボールリーグ(JFL)の水戸ホーリーホックへ移籍した本間幸司は、クラブとJ2を代表する伝説のGKとなった。2024年まで水戸で現役を続け、今季ゼネラルマネジャーに就任。J2最多の577試合出場を達成したバンディエラの29年間を回想する。(取材・文=河野正/全5回の最終回)

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 水戸で過ごした26年間が終幕し、J2で577試合出場という金字塔を打ち立ててスパイクを脱いだ本間は、「最後の8年間くらいはまあ、よく頑張ったかな。苦しかったけど人生のプラスになりました」と感慨深げに話した。

 セカンドキャリアについて尋ねると「これだけ長く現役をやってきたので考える時間は結構あったのですが、どうしてもサッカー以外で見つけることができなかった。といって監督とかGKコーチという具体的な考えもなく、育ててもらった地元とサッカーに恩返ししたい、という思いだけでしたね」と立て板に水で答えた。

 クラブと今後の道筋を話し合った結果、2025年1月からクラブリレーションオーガナイザーという新設された役職に就いた。クラブとチーム、クラブと地域、クラブとパートナー企業などの橋渡しとなる役回りで、各方面に“ホーリーホック・スピリット”を伝えながら、クラブの繁栄と発展にエネルギーを注ぐ責任重大な立場となった。

 引退直後とあり、現場をサポートしたい思いが強かった一方、プロサッカークラブとはどんな業務をしているのかも知りたかった。それだけに新たな職務は渡りに舟、願ったりかなったりだった。

 仕事着がユニホームからスーツに変わった昨年を振り返り、「フロント業務に関しては、何かひとつを決めるにもこれだけ時間をかけ、議論を重ねながら進めることを知りました。各部署が考える様々な施策や細かなことも理解でき、たくさんのことでスタッフと一緒に歩んでいけたのは大きい」と述べる。

 営業、運営、集客、サステナビリティーなどについて協議するフロント会議にはすべて出席。広報活動もこなし、アカデミーの練習ではGKを中心に手伝うなど、現役時代とはまた違う難しさと忙しさを経験できた1年だったという。

 悲願のJ1初昇格を果たし、昨シーズンの全日程を終えた約1週間後のことだった。12月8日に西村卓朗ゼネラルマネジャー(GM)が契約満了で退任するとの驚きのニュースが流れた。16年から強化部長を務め、19年秋からはGM兼強化部長や取締役GMという要職を歴任してきた。

 それから1カ月後の今年1月12日付で、西村と同い年の本間が新たなGMに就任することになる。29年もの長きにわたって選手を続け、現役を退いてわずか2年目でJ1クラブの重職に就くのは異例だ。

 不安はなかったのか? 「前職のクラブリレーションオーガナイザーと業務内容はそれほど変わらないので、特に心配はありませんでした。選手時代からクラブへの思いや責任感は強かったし、自分が代表という自覚でやっていましたからね。卓朗にも、いずれは僕がGMをやるべきだと言われていたんです」と語り、GM職にまつわるいろいろな書籍などに目を通し、基本的なことを学んだそうだ。

 1994年にFC水戸として発足し、33年目に宿願だったJ1昇格を遂げた。その記念すべきシーズンにGMを任せられたのは、本間という歴史の語り部にはふさわしい時機ではなかったか。

 J1に到達したことはクラブの成長を象徴する一大トピックに違いないが、語り部はこれを除く劇的な変化について、クラブハウスを併設した美しい天然芝2面の練習場を所有できたことを挙げた。

 15年3月に廃校となった東茨城郡城里町立七会中学校を利活用し、老朽化した町内の支社や公民館などを集約。合わせて水戸の練習場とクラブハウスを整備した。廃校に伴い、行政とプロサッカークラブの複合施設が出来上がったのは、日本では初の試みだ。アツマーレという愛称で18年2月に運用が始まった。

「水戸に来て最初の練習場はゴール前に野球のマウンドがあり、那珂川河川敷のホーリーピッチは、大雨が降ると冠水被害に遭いました。アツマーレは水戸にとって大きな大きな進歩だし、クラブに体力が備わった証拠だと思う。さらに進化するためにも、クラブがひとつになって歩んでいかないといけない」

 就任から半年あまり経過したが、「各部署代表との話し合いとすり合わせが大変。すべての意見を取り入れるわけにもいかないし、疑問に思えば議論を重ねる必要がある。今はそのへんの難しさを感じています」とここまでの所感を述べた。

 初挑戦のJ1は、明治安田百年構想リーグの名称で、2月から4カ月の短期決戦で争われた。8月からの秋春制移行に伴うプレ大会だった。東地区の水戸は、2勝8敗とPK戦の勝ち負けが4試合ずつの勝ち点18で10チーム中9位。V・ファーレン長崎とのプレーオフは2連敗し、全体の18位で終えた。

 2026-27シーズンは降格もあるだけに、さらなる戦力の上積みがぜひとなる。

 樹森大介監督と森直樹フットボールダイレクターは選手としてともに戦った旧知の仲だが、立場上、これまでのように気軽に接することができないのでやりにくいと笑う。「でもふたりとの関係は良好だし、自分なりのGM像を確立してもいいのかな。肝心なのはやるべき案件や事案を迅速にこなすことです。5年後、10年後も展望しないといけないが、それを考えるのはやりがいを感じるし、楽しみでもあります」ときっぱり。

 6月14日には『花道じゃない。挑戦状だ』をテーマにした引退試合が開催された。水戸の選手としては、18年1月に行われた鈴木隆行以来、2人目の興行。GKの引退試合は24年の南雄太(柏レイソルなど)に次いで2人目で、レジェンドならではのお祝いとなった。

 これでひとつの区切りがついたことだろう。これからはクラブの成長と発展のため、現役時代のように滅私奉公するだけだ。

 夢を尋ねてみた。J1定着とか優勝争いと回答するものと高をくくったら、意表を突かれる答えが返ってきた。それを聞いて無性にうれしくなった。

「アジア進出などの目標もありますが、もっと大きなところでは水戸がこの地域の文化になり、街にしっかり根付いてほしいという願いが一番ですね。高校の時に行った欧州でそういう環境を見て驚いた。水戸が地域の人々を笑顔にさせる存在になれたら、こんなに幸せなことはありません」

 どんなに厳しい環境にあっても、苦難から逃げずに立ち向かった男だからこそ抱ける志。本間はプロフットボールクラブが掲げる社是として、最も重要なものを理解していた。(文中敬称略)

(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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