FIFAの“バログン騒動”2つの問題点 レッドカード維持の矛盾…堕ちたW杯の権威

アメリカ代表FWバログンの処遇が物議を醸す
北中米ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント2回戦が現地時間7月6日に行なわれ、アメリカはベルギーに1-4と敗れた。ここまで果敢なサッカーを見せていたアメリカだったが、この日はミスを連発し、あえなく大会を去ることになった。
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この試合でもっとも話題となったのは、決勝トーナメント1回戦で相手選手の足首を踏みつけ、退場となったFWフォラリン・バログンの出場が認められたことだろう。この試合に先立ってFIFAは公式な見解を発表している。
その見解では「FIFA規律規程第66.4条は『退場は自動的に次戦からの出場停止をもたらす』と定めている」としつつも、FIFA規律委員会が「いかなる懲戒措置の執行も猶予する裁量権を有するFIFA規律規程第27条を適用」したので、バログンが出場できる、とした。
さらに「FIFA司法機関の委員長、副委員長、およびその他の委員は、公平性を確保するために、FIFAガバナンス規程で定義された独立性の基準を満たしている」としていて、FIFA規律委員会は独立していて公平だと主張している。
FIFA規律委員会は「試合操作(もちろんここでは発生していない)に関係しない限り、いかなる懲戒措置の執行も猶予する裁量権を持っている」「以前のFIFAワールドカップ2026予選中にも同様の決定が下されたことがある」と弁明。
さらにUEFAの反発に対して「UEFA加盟協会に属するトップティア(最上位)リーグの大部分において、レッドカードの取り消しは一般的な規律上の措置だが、これが『越えてはならない一線』を越えているという懸念を引き起こしたことはない」と反論も試みた。
この見解には2つの問題点がある。1つは、「自動的に」というのを規律委員会が違えていいのかということだ。「自動的」が変更できるのなら「自動」ではない。手で開けるドアを「自動ドア」と呼ぶみたいなものではないだろうか。
次に、この声明の中にはなぜバログンの出場停止が回避されたのかという理由がほぼ書かれていない。「上記の執行猶予は、事件を取り巻くすべての特定の状況と、入手可能な証拠を考慮して決定された」とだけ記載されている。
この見解と矛盾しているのは、レッドカードが維持されていることだ。レッドカードが取り消されないのなら、次は出場できない。そしてこんなことを理屈立てて書かなくても、誰もがこれはアメリカによる茶番だと分かっている。
W杯の権威は堕ちた。アメリカ代表チームもバログンも犠牲になった。そもそもポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドの出場停止2試合が猶予され、今回のW杯初戦から出られるようになったときから、げんなりしている人たちもいるはずだ。
もっとも、サッカーは常に政治やFIFAの思惑によって振りまわされてきた。古くは1934年第2回ワールドカップがムッソリーニ政権下のイタリアで開催され、1930年第1回ウルグアイ大会ではアルゼンチン代表として出場していた選手4人がイタリア代表としてピッチを踏んでいる。また、レフェリーもムッソリーニが選んでいたという話もある。
1962年チリ大会では、準決勝で退場処分を受けたブラジルのFWガリンシャを決勝に出場させるべく、ブラジル首相がFIFAに嘆願書を送ったという。そのときのCBD(ブラジルスポーツ連盟、のちにサッカー部門は独立)の会長が、のちのFIFAの会長になる大実業家のジョアン・アベランジェだった。そしてガリンシャは無事プレーし、ブラジルが連覇を達成している。
1978年アルゼンチン大会は、2年前に軍部がクーデターで政権を握っており、軍政に反対する人たちが多数行方不明になっていた。そのためヨーロッパでは反対運動が起きていたものの、出場しなかった場合にFIFAが将来にわたって制裁を科すことを恐れ、結局すべての国が出場した。この大会でアルゼンチンは初優勝し、軍事政権はこれをプロパガンダに使用したとされている。
かつての軍事政権による大会への圧力に比べれば、今回はまだましな部類に入るのかもしれない。そうだったとしても2015年、汚職事件を起こして信用が地に落ち、信頼回復に努めているFIFAが、またもこんなスキャンダルを起こしたことは歴史に刻まれるだろう。なにより2015年、FIFAの汚職を追及したのがアメリカ司法省だったというのが、一層皮肉を利かせている。
(森雅史 / Masafumi Mori)

森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。





















