マンUのオファー断り「本当に迷った」 鈴木彩艶が21歳で下した決断…体現した「急がば回れ」

鈴木彩艶は3年前の夏にシント=トロイデンへ移籍した
森保ジャパンの絶対的な守護神として、23歳の鈴木彩艶は自身初のワールドカップとなる北中米大会の開幕を心待ちにしている。浦和レッズのセカンドキーパーだった3年前の夏に下した、日本のことわざ「急がば回れ」をそのまま踏襲した一大決心が、いま現在につながっている軌跡をあらためて追った。(取材・文=藤江直人)
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急がば回れ。鈴木彩艶が21歳になる直前に下した決断が、日本でも有名なことわざの意味そのままにサッカー人生のターニングポイントとなり、ワールドカップ北中米大会に臨む森保ジャパンの守護神を誕生させた。
2023年の夏。浦和レッズのセカンドキーパーだった彩艶のもとに、プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドから完全移籍でのオファーが届いた。当時のレートで移籍金は日本円で9億円を超えていた。
しかし、彩艶は熟慮した末に自らの意思で断りを入れた。ヨーロッパを代表するビッグクラブ入りをあえて遠ざけたとする一報は大きな反響を呼んだ。当時の彩艶はオファーを事実と認めたうえでこう語っている。
「今回の決断を下すまでにサッカー選手としても、一人の人間としても本当に迷いました。何も考えなければもちろんマンチェスター・ユナイテッドに行きたいと思いましたが、移籍した先にどのような未来が待っているのかを時間をかけて考えた結果、一歩ずつステップアップしていくのが大事だと判断しました」
同時に浦和を退団すると決めていた彩艶は、ベルギーのシントトロイデンへ新天地を求めた。完全移籍ではなく期限付き移籍で、ヨーロッパのセカンドグループとなるベルギー行きを決めた理由も語っている。
「とにかくいまの自分は試合に出るのが大事ですし、さらにつけ加えればヨーロッパの舞台でプレーするのも大事でした。ヨーロッパの舞台で活躍していけば、必ず他のクラブの目にも留まると思っています。自分の夢を考えたときに、ベルギーリーグでプレーするのが現段階ではベストだと思って決めました」
この時点で日本代表として1試合に出場していた彩艶は、壮大な夢を胸中に秘めていた。
「プレミアリーグで活躍する最初の日本人ゴールキーパーになって、世界一を目指していきたい」
夢をかなえる意味でも、マンチェスター・ユナイテッド入りは最短距離に映った。しかし、マンチェスター・ユナイテッドはイタリアのインテルから、カメルーン代表の守護神アンドレ・オナナを獲得したばかりだった。
浦和でリーグ戦への出場機会を失っていた彩艶は、5年契約で加入したオナナと自らの現在地を比較した末に、マンチェスター・ユナイテッドではなくシント=トロイデンを選んだ理由とこう語っている。
「マンチェスター・ユナイテッドで試合に出られるレベルにあるのかどうかを考えたときに、日本で試合に出られていない自分ではなかなか難しいと思いました。ただ、現時点で移籍できなくても、数年後には必ず移籍したいと考えているので、着実にステップアップするために今回の移籍を決断しました」
ことわざの急がば回れは「急いでいるときこそ、危険な近道より安全で確実な方法を選んだほうが結果的に早く目的を達成できる」という意味をもつ。まさに3年前の彩艶が下した決断そのものだった。
もちろんシント=トロイデンでも無条件でレギュラーが用意されたわけではない。前シーズンまで守護神を担ったシュミット・ダニエルのステップアップ移籍が破談となり、2023-24シーズンも残留していた。
しかし、浦和時代に大ベテラン、西川周作の背中を追ってきた彩艶は動じない。むしろ「どのチームにいっても必ず高いレベルの競争があるので」と歓迎しながら、海外移籍へ準備も積んできたと明かしていた。
「こういうときのために、2年ほど前から英語をしっかりと勉強してきたつもりです。最初はほとんど話せませんでしたけど、いまは試合のなかでも自信をもって話せるレベルになっていると思います」
W杯カタール大会代表のシュミットとの競争に勝った彩艶はシント=トロイデンの守護神を拝命。同年10月には森保ジャパンに招集され、チュニジア代表との国際親善試合でクリーンシートを達成した。
パリ五輪を控えたU-22日本代表ではなく、A代表へ彩艶を招集した理由を森保一監督はこう語った。
「彩艶はシント=トロイデンへ移籍した直後からリーグ戦に出場し出続け、非常に高いパフォーマンスを見せ続けてくれている。A代表の戦力にふさわしいと考えて今回選ばせていただいた」
以来、彩艶がA代表に招集されなかったのは、左手の中指と舟状骨を骨折した昨年11月シリーズの一度だけ。2024年1月のアジアカップから守護神を担い、同年9月からは「1番」を背負い続けている。
もっともアジアカップでは安定感を欠き、彩艶本人だけでなく、先発で起用し続ける森保監督に対しても懐疑的な視線を向けられた。ベスト8敗退を喫したアジアカップを、いまではこう位置づけている。
「いろいろと得るものがあったので、あの大会の経験をいいもの、ととらえるかどうかは本当に今回のワールドカップの結果や、自分のパフォーマンス次第だと思うので、ワールドカップにかける思いは強いです」
1年目のシーズン途中に、期限付き移籍から完全移籍へ移行したシント=トロイデンでのパフォーマンスが認められる形で、彩艶は2024年7月にセリエAのパルマへ5年契約、移籍金17億円で完全移籍した。
浦和を旅立つ際に語った「他のクラブの目にも留まる」や「着実にステップアップ」を1年でかなえた。名守護神を何人も輩出したセリエAで、初めての日本人キーパーとしてプレーした日々は刺激に満ちていた。
「ファン・サポーターを含めた熱の強さというものを試合のたびに感じています。ミスをすれば当然叩かれるし、逆にいいプレーをすれば称賛される。日本ともベルギーとも違って本当に特殊というか、サッカーに対する熱量というものが本当にすごいし、そうした環境のなかで自分自身もさらに強くなれていると感じています」
昇格組だったパルマを2シーズン連続でセリエA残留に導いた戦いが最終盤に差しかかった先月15日。ワールドカップ北中米大会に臨む日本代表のメンバー発表会見を彩艶は自宅で視聴した。
年齢の高い順にキーパー陣で3番目に名前が読み上げられた瞬間、彩艶は決意を新たにしている。
「ホッとしたと同時に、気が引き締まりました。ここを目指してやってきた部分もあるので」
代表選出をスタートラインだと位置づけた彩艶は、さらにこんな言葉もつけ加えている。
「ヨーロッパで3年間プレーしてきて、代表としてアジアカップを経験して、アジア予選も戦ってきて、いいところも悪いところもいろいろと経験してきました。その大きな括りとして今回のワールドカップで集大成というか、結果を出したい。チームの結果が一番ですけど、個人としてもいいパフォーマンスを発揮したい」
急がば回れのキャリアを歩むと心に決めてから、彩艶にとっての「3か年計画」がスタートしていた。だからこそ「大きな括り」や「集大成」という言葉が、北中米大会を直前に控えた段階で飛び出した。
もちろんサッカー人生はまだ続く。8月に24歳になる彩艶は、憧れのプレミアリーグで大活躍する日本人キーパーになる夢をいまも抱く。いまなら自信をもって、世界最高峰の舞台にチャレンジできる。
浦和を旅立ってからの3年間で身長は190cmと変わらない一方で、たゆまぬフィジカルトレーニングの成果もあって、体重は91kgから日本の歴代ワールドカップ代表選手では初めて100kgの大台に到達した。
ゴールマウスで威風堂々かつ頼れる存在感を放つ彩艶は、こんな言葉を繰り返し残してきた。
「シュートへの対応はもちろんですし、空中戦での安定感や足元の技術の高さを含めて、1試合のなかでどれだけハイレベルなプレーを出せていけるか。すべてをしっかりとできるゴールキーパーになっていきたい」
これまでも、そしてこれからも追い求めていく理想像を、背番号「1」とともに体現する。ワールドカップデビューを果たすオランダ代表とのグループステージ初戦を、誰よりも彩艶自身が楽しみにしている。
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。


















