全盛期にまさかの宣告「ボールに触らなくていい」 貫いた”自己犠牲”…アジアMVPは「唯一の勲章」

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:永井雄一郎(ザスパ群馬アカデミーダイレクター兼U-18監督)第5回
日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。
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FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。浦和レッズで全盛期に突入するタイミングで、ホルガー・オジェック新監督から告げられたのは「ボールに触らなくていい」という言葉だった。紆余曲折の末にチーム戦術を受け入れ、役割に適応した永井雄一郎は、AFCチャンピオンズリーグの優勝、そして大会MVPという“勲章”を手にするのだった。(取材・文=二宮寿朗/全5回の5回目)
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自分のやりたいことを押し通して認めさせるか、それとも要求されたことを徹底してやろうとするか。
プロになってサッカーを「仕事」と割り切ってきた永井雄一郎とすれば、答えは明白であった。2006年のJ1初制覇と天皇杯2連覇を置き土産に勇退したギド・ブッフバルトに代わって、2007年のレッズ指揮官にはドイツ人のホルガー・オジェックが11年ぶりに復帰した。
ブッフバルト体制では主にサブに回っていた永井だが、先の天皇杯決勝戦(対ガンバ大阪)では決勝ゴールを挙げるなど、20代後半に入って脂が乗り切っている時期でもあった。
オジェックから、永井への“指令”があった。
「ボールに触らなくていい」
受け取り方次第ではカチンと来てもおかしくない。ボールに触らなくていいというなら、代名詞のドリブルもできない。それでも永井は受け入れた。前線でコンビを組む元ブラジル代表ワシントンがプレーしやすいように動くという役割をまっとうしようとした。
「ワシさんはあまり動かずに構えているので、自分がいっぱい動いて彼にボールが入りやすいようにしてほしい、と。この場面ならボールを受けてドリブルして仕掛けたほうがいいなといろいろと考えは出るんですけど、大事なのはワシさんにボールが入るために相手をどう動かしていくかなので、その優先順位を間違えないようにはしていました」
2トップの一角に入り、黒子の役割をこなしていく。オフ・ザ・ボールにこだわって、ボールに触らないようにしていくと、逆に自分のところに回ってくるから不思議だ。3月3日、横浜FCとのJ1開幕戦ではゴール前ではね返されたボールを受け取って、ドリブルから右足で決勝弾を奪っている。
調子が上がっていくと、自分のポリシーに反してもっとボールに触れたい、もっと主体的に絡んでいきたいという欲が段々と頭をもたげていく。6月に中国・山東で開催されたA3チャンピオンズカップではその傾向が強くなりつつあり、ついにはオジェックから呼び出しを食らうことになる。
「声がかかった瞬間、嫌な予感がしました。自覚があったので“やっぱり来たか”って思いましたね。案の定、通訳を通じて『今、どうのこうの言うつもりはない。ボールに触らなくていいと伝えたはず。今後やるかやらないか。やらないんだったら、もうお前をスタートでは使わない』とオジェック監督にはっきり言われたんです。だからすぐ『やります』って返しましたよ。だって試合に出ないと始まらないわけですから。ボールに触らなくていいし、とにかく走って動いて、ワシさんにボールを入れよう、と」
確信犯でやってきたことゆえに、反発するつもりはない。むしろ何も言われないで外されるよりは、はっきり言ってくれたほうがありがたかった。その一言があったから、腹を括ることができた。
完全に黒子に徹して、オジェックが描くチームの「駒」となり切る。
ACL(AFCチャンピオンズリーグ)の戦いにおいてレッズはグループステージを2勝4分の無敗で1位突破を果たし、全北現代(韓国)との準々決勝、城南一和(韓国)との準決勝も勝って、セパハン(イラン)との決勝戦に駒を進めた。
アウェーでの第1戦は1-1。埼玉スタジアムに場所を移した11月14日の第2戦、永井はピッチで躍動する。
前半22分だった。
ポンテが出した縦パスは相手に当たってコースが変わり、ゴール前に回り込んでボールを受けた永井が迷わず右足をドンと振り抜いて先制ゴールを奪った。人差し指を突き立ててゴール裏に向かった彼にワシントンをはじめチームメイトが次々に抱きついていく。のどから手が出るほど欲しかった勝ち越し点。真っ赤に染まったスタジアムのボルテージが高止まりすると、後半にも阿部勇樹が追加点を奪う。現行の大会に移行してから初の日本勢優勝となる快挙を成し遂げた。
自己犠牲を厭わず、無欲で手にしたACLの大会MVP
ボールに触らなくていいと腹を括った人が決勝ゴールを奪うというストーリーが、なかなかに面白い。
永井は言う。
「結局、欲をなくしてやっていくといろんな意味でご褒美が来るんだなって思いました。調子が良くていい感じでプレーできていても、点が獲れないことってしばしばあります。逆に調子が悪くて、余計なことをしない時のほうが点は獲れる。なぜなら調子が良いと余計にボールを受けようとするので、点を獲るべきところにいない。逆に余計なことをしないと、そういったところにポジションを取っていますから」
この時は調子が良く、かつ余計なことをしないため、ワシントンにボールが入るようにオフ・ザ・ボールで走って動くから、結果的に自分のところが空いてチャンスにもなる。そこを司令塔のポンテが見逃さないことも大きかった。
「あの時のレッズは守備が強くて、堅いサッカーができるという特徴がありました。決して大崩れはしなかったし、後ろが強いから前もやりやすかった。メンバーを見ても、みんなキャラクターが立っていて個性的でしたよね。なかでもポンテの存在はやっぱり大きかったとは思います。きつい時間帯であっても、何もないところから彼はゴールを生み出すプレーをしてくれましたから」
大会MVPにはチームトップの5得点を挙げたそのポンテではなく、永井が選ばれた。優勝を決めたゴールが決め手となったことは言うまでもないが、このチームのキーパーソンであり続けたことは見ていれば十二分に理解できた。
ACL制覇に導いたオジェックだが、翌2008年シーズンは開幕2連敗を喫して解任となる。指揮官が離日した後、永井はクラブスタッフからオジェックの伝言を受け取っている。
「(鈴木)啓太と2人に対して『君たちは私のサッカーに理解を示し、プレーをしてくれた』という言葉をわざわざいただきました。まあ、言われたとおりのことを本当に守りましたからね。ポンテのようなことができたら、また違った役割だったかもしれませんが、自分の身の丈に合った役割だったかなとも思います。チームスポーツである以上、自己犠牲でやっていく役割の人も必要ですから」
その自己犠牲によってチームがうまく機能し、「自分の唯一の勲章」と語るACLの大会MVPを手にした。プロとして「仕事」と割り切りつつも、三菱養和で培った「和を養う」精神が永井の支柱にあったことは言うまでもない。
レッズを離れてからカズと出会い、サッカーが自分にとっていかに大きな存在かを再認識させられた。選手兼監督だろうが、カテゴリーがどうだろうが関係ない。大事なのは、そこにサッカーに向き合える環境があるかどうか――。
現在はザスパ群馬のアカデミーダイレクター兼U-18監督という立場だが、「いつかここを離れて、社会人チームでまたできるんだったらやりたい」と選手としてピッチに戻ることもあきらめてはいない。59歳のカズに、47歳の永井が負けてはいられない。
しかし今は与えられた役割を全身全霊、まっとうすることしか考えていない。やり甲斐しかないから、のめり込める。
「ザスパのアカデミーってこうだよねって、外から見ても分かってもらえるように色をつけたいですね。もちろん強いアカデミーにしたいし、個々のレベルを伸ばしていってトップチームに昇格させていきたい。そこだけに集中していますけど、いつかトップチームで指揮を執りたいという目標はあります」
目を輝かせる永井雄一郎が、目の前にいる。
サッカーに魅せられた人の終わらない探求の旅は続いていく。
■永井雄一郎 / Yuichiro Nagai
1979年2月14日生まれ、東京都出身。三菱養和SCユースから97年に浦和レッズに加入し、1年目からリーグ戦30試合出場3得点を記録。同年のワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)にも出場した。カールスルーエ(ドイツ)への期限付き移籍を経て99年は浦和に復帰すると、2度目のワールドユース選手権出場を果たし、日本の準優勝に貢献。2003年にはA代表にデビューし、初得点も記録している。浦和ではJ1優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝などを経験。09年の退団以降は、清水エスパルス、横浜FC、ザスパクサツ群馬(現・ザスパ群馬)などのJリーグクラブのほか、アマチュアチームを渡り歩き、選手兼監督としても活躍。26年からはザスパ群馬のアカデミーダイレクター兼U-18監督を務めている。
(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)
二宮寿朗
にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。






















