前例のない異色キャリアも「自分が最初に」 ”医者一家”のJ内定逸材…求めた文武両道

岡山に内定が決まっている筑波大学CB小川遼也
2027年からのファジアーノ岡山入りが内定した筑波大学4年生のCB小川遼也。184cmのサイズと屈強なフィジカル、スピードなど身体能力に秀で、両足から放たれる正確無比な長短のキックは大学サッカー界でもトップレベルを誇る。以前、4クラブの争奪戦の末に岡山入りを決めた理由を記したコラムを掲載させてもらったが、彼にはさらに興味深いバックボーンがあった。両親と祖父が医者という医者家系で育ち、プロサッカー選手と医者への強い憧れを抱きながら、小・中・高と文武両道を続けてきた。(取材・文=安藤隆人/全4回の1回目)
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サッカーではカターレ富山のアカデミーでプレーし、勉強では中学受験をして富山大学教育学部附属中に進学をし、高校も受験で富山県ナンバーワンの進学校である富山中部高に進学。
そして、一般受験で筑波大学に進学をして、2年生でレギュラーを勝ち取るなど、驚くべきキャリアを辿って夢であったプロへの道を切り開いた。
なぜ小川はこのキャリアを歩んできたのか。そこにはどのような信念、想い、覚悟があったのか。内定発表後の彼に独占インタビューを敢行し、彼のキャリアの裏側に迫った。
2004年5月21日に小川遼也は富山県富山市で産声を挙げた。両親は医者、祖父は開業医という家庭で生まれ育った彼は、幼稚園の年長からサッカーを始めてのめり込んで行った。
祖父が大のカターレ富山ファンということもあり、幼少の頃から富山県総合運動公園陸上競技場に一緒にJリーグを観に行く中で、プロサッカー選手に大きな憧れを抱くようになっていった。
「サッカー選手が本当にカッコ良くて、富山を背負って戦う姿に感動というか、感謝というか、もう輝いて見えたんです」
富山中央FCでサッカーに没頭する一方で勉強も大事にした。授業を真剣に聞いて、成績が上がっていくにつれて、「もっと学びたい」という気持ちが芽生えた。
「ちょうど僕の隣のクラスの友達で頭が良くて、勉強に一生懸命打ち込んでいた子がいたんです。話をしていると僕らよりどんどん先のことを勉強していて、それが楽しそうに見えたんです。それで『何か他にやっているの?』と聞いたら、『塾に行っていろんなことを教えてもらっている』と言われたので、親に『僕も行きたい』って希望したんです。実際に塾に行ったら、僕が全然知らなかったことをどんどん学べたので勉強も楽しくなっていったんです」
中学受験も希望した遼也少年は大好きな祖父と母の母校である富山大学教育学部附属中学という難関国立中学を受験し見事に合格。サッカーも憧れのカターレ富山アカデミーである富山U-15に加入し、文武両道の日々が始まった。
「中学時代は勉強もサッカーもやればやるほど伸びていた気がして、本当に充実していました」と口したように、サッカーでは中学2年生でボランチからCBに転身するとメキメキと頭角を現し、中学3年生時にはキャプテンとしてチームの中枢となって高円宮杯JFA全日本サッカーU-15選手権に出場をした。
勉強面では学校の特性上、『授業研究』(研究テーマを決めて、生徒たちが先生を交えてディスカッションしていくスタイルの授業)が多く、「友達と考えながらコミュニケーションを取って、『なんでこういう原理があるのか』など教科書を通して学ぶだけでなく、自分で考えて発言してというアクティブラーニング的な授業が楽しかった」と、より知見とコミュニケーションスキルを磨いて行った。
そして高校受験の際、母の出身校である富山県ナンバーワンの進学校である富山中部高への進学を希望した。だが、当時は富山U-18で富山中部に通っている選手は過去も含めて1人もおらず、周りからは「少しランクを下げた高校に行ったほうがいい」というアドバイスも受けた。
だが、「僕のことを思って、『勉強もサッカーもとなると絶対きつくなるよ』と言ってくれたと思うのですが、前例がないなら自分が最初になってみよう、自分なら出来ると信じて受験しました」と、覚悟を決めて見事に合格。高校でもハイレベルな文武両道を続ける決意を固めた。
「サッカーを頑張るから勉強をやめようとか、勉強を頑張るからサッカーをやめようという考え方がそもそもなかった」
富山U-18ではトップ昇格を目指し、富山中部では尊敬する両親と祖父のような医者を目指すことにした。ハイレベルな文武両道をやり切る。そう誓ってむかえた高校生活だったが、ここで小川はサッカー面でも勉強面でも大きな挫折を味わうことになった。
高校での文武両道は想像以上にハードだった。富山中部高のカリキュラムも特殊で、予習をしないと授業に全くついていけなかった。
「事前に『ここからここまでをやっておくように』と言われて家で参考書を読みながら、自分でどう問題を解いていくかを学習して、正解を導いてから、授業前に指名された人がその答えを板書(黒板に書く)しておかないといけないんです。板書した上で、それの答え合わせをしながら授業を進める形なんです。授業後にみんなは塾や図書館に行ったり、家に帰ったりしてその予習を始めるのですが、僕は学校が終わったらすぐ自転車に乗って、片道40分かけてユースの練習場に行って、17時半から練習して、自主練を20時に終えて、そこからまた40分かけて帰宅して、夕食、お風呂に入ってから勉強を始めるという毎日でした」
勉強の時間もサッカーの時間も削りたくなかった。ユースの全体練習が終わった後も勉強のためにすぐ帰宅するのではなく、いつも最後までグラウンドに残ってキックや対人などの自主練に打ち込み、帰ってからも勉強は必ず2時間はこなし、朝も早く学校に行って授業前に教室で行うなど、時間の使い方を工夫した。
できうる最大限の努力を重ねていたが、現実は思うようにはいかなかった―。
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』、新刊は『ともに歩き出す サッカーと家族と新しい日常』(ともに徳間書店)。講演家としても全国を回っている。






















