Jオファー断り→大学で挫折「精神的にきつい」 ライバルに重なった”求められる姿”「焦りより参考に」

法政大の根津元輝【写真:安藤隆人】
法政大の根津元輝【写真:安藤隆人】

法政大学4年生MF根津元輝

 今月、いよいよ全国各地で開幕した大学サッカーリーグ戦。プロ内定選手、これからプロを目指す選手、そして大学という新たなステージに移行した選手たちが全国各地で激闘を繰り広げる。

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 ここでは大学サッカーのステージで躍動する選手たちをピックアップしていく。今回は関東大学サッカーリーグ1部から。今季、3年ぶりの1部復帰を果たした法政大は昨年1部・2位の国士舘大と開幕戦を戦って1-2で敗れたが、MF根津元輝は4年目にしてついにリーグ初ゴールを叩き出した。

 0-0で迎えた前半28分、法政大は左FKを得ると、根津は丁寧にボールをセットしてから鋭い眼光でゴールを見つめた。

「最初はみんなと少し話をして中で合わせることに決まってたんですけど、自分の感覚的に『いけるな』と思ったので、みんなには申し訳ないのですが、思い切って狙って蹴りました」

 直感を信じた結果、彼の右足から放たれたキックは、美しい放物線を描いて壁の頭上を越えて、ゴール左隅に突き刺さった。

 待望のリーグ初ゴール。その場で大きな声で吠えた根津にとってこの一撃は、苦しかった大学生活を走り続けてきた意地の一発でもあった。

「高校でプロを断って、大学サッカーでもっと成長すると誓ったのに、昨年までは本当に思い通りに行かないというか、精神的にきつい時期もありました」

 前橋育英高時代は1年時からトップの試合に出場するなど、強豪校の中で早くから頭角を表していた。豊富な運動量と読みの鋭さを生かした球際の強さ、キックの精度で攻守の中心となると、2年生の時には同級生の徳永涼(筑波大)と一緒に前橋育英の『花形ポジション』であるダブルボランチを形成して、完全にチームの中心になった。

 この際に彼と徳永のどちらがこれもチームの花形エースナンバーである14番を背負うことになるのかも注目が集まった。結果、徳永が14番になり、根津が7番になった。

「14番は狙っていました。正直悔しさがありますが、7番も本当に重要な番号なので責任を持って背負いたいです。もちろん後2年あるので、途中から僕が14番になるつもりで涼とはもっといいライバルになって行きたいです」

 こう力強く口にし、負けず嫌いを見せていた姿が印象に残っている。結果として卒業まで背番号は変わらなかったが、2年時にはチームを悲願のプレミアリーグ昇格に導き、日本高校選抜にも2人で選ばれた。3年生では夏のインターハイで13年ぶり2度目の優勝を成し遂げ、選手権もベスト8。2年連続で高校選抜に入って、ダブルボランチを組んだ。

 さらに2人とも大卒で即戦力の選手になるために、Jクラブからの正式オファーを断る形で根津は法政大へ、徳永は筑波大へ入学し、チームは違えど、志が同じのライバルとして切磋琢磨を誓っていた。

 しかし、1年生から出番を掴み、2年生になると中心選手になっていった徳永に対し、彼は1年生では出番が来ず、2年生になると法政大は関東2部に降格し、そこでも前期はスタメンで出場することが増えたが、後期になるとベンチを温める時間が続いた。

 3年生になると14番を託されて、関東大学サッカーリーグ1部優勝、インカレ優勝を手にする徳永に対し、彼はセカンドチームスタートとなり、プロになるために重要な3年生の前期をIリーグでプレーする日々が続いた。

「高校時代にベンチから外れるときは怪我だった。でも、このときは怪我でもなんでもなく、シンプルに僕のプレーが良くなかった」

 3年生になった時に柳沢将之監督が就任して、シンプルに叩くプレーや、オフの動きの中でワンタッチで関わるプレーを求められるようになった。ボールを受けてから展開をするスタイルだった根津は、柳沢監督の要求に必死で応えようとするも、少しプレーに少し迷いが生じてしまったことも要因の1つだった。

「この間に涼の試合をスタンドから観る機会も何回かあったのですが、大きな差をつけられた悔しさと焦りがある中で、彼がチームを力強く引っ張っている姿を見て、かなりの刺激を受けました。特に彼はプレースタイル的にも前橋育英の時より少し変化していたんです。僕と同じようにボールを持って何かをしようとするタイプでもあったのですが、前と後のつなぎ役として、常に首を振りながらポジショニングをこまめに取って、シンプルにプレーしていた。それは今まさに柳沢監督が自分に求めているところと重なったんです。だからこそ、悔しさや焦りよりも参考にしようと思いました」

 ライバルの姿に心を打たれ、学んだ。ただ、根っからの負けず嫌いであるため、徳永には直接連絡を入れることはなく、映像を見たり、共通知人から彼がどんなことをしているのかなどを聞いたりしたという。

「僕もちょっとプライドがあるので、正直連絡が取りづらかったんです。でも、その知人を通して涼から『お前、絶対に負けんなよ』という言葉はもらったので、それに大きな刺激をもらいました」

 彼にはもう1つ、奮起する材料があった。それは今、キャプテンとしてチームを牽引する同級生のDF島田春人の存在だった。彼もスタートはIリーグにいた。

「島田が学年リーダーで、僕が副という立場でもあったので、僕らが腐ってしまったらチームにも悪影響を与えるし、Iリーグは下級生が多いカテゴリーでもあったので、そこで僕らが悪い雰囲気を出してしまったらいけない。じゃあ逆にこのカテゴリーで一生懸命に取り組んで、このチームを牽引する精神的な支柱になることができたら、いざトップに上がった時もリーダーシップを発揮して、応援される選手になるだろうし、4年になったらトップチームを引っ張れるような存在になれると2人で話したんです。『ここで腐っていたらもったいないよね』と結論が出て、2人で奮起しました」

 島田が一足先にトップに上がったが、3ヶ月後に根津も上がって、今年はその言葉通りキャプテンと副キャプテンとしてトップチームを牽引している。

「今ようやくこれまで積み重ねていたことの成果がちょっとずつですが形になってきていると思っています」

 持ち前のキープ力と展開力に加え、積極的な前へのランニングからパス回しに加わって、相手を揺さぶるプレーも身につけて、プレーの引き出しは確実に増えた。あとはここからコンスタントに結果を出して、プロからの声を掴み取り、思い描いた大卒プロの道を切り開いていかなければならない。さらにかつ、チームを牽引する立場として3年ぶりの関東1部を制し、全国大会でも上位を目指さないといけない。

 やるべきことは多い。だが、苦難の日々を「ひたすら『ここで本当に腐る時間があったら、とにかく練習しろ』と自分に言い聞かせてきた」という精神で前進してきた彼なら、歩みを止めることなく、目標に向かってまっすぐに突き進んで行ってくれるはず。開幕戦で見せた初ゴールがその原動力の1つに加わったことは間違い無いのだから。

(安藤隆人 / Takahito Ando)



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安藤隆人

あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。

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