高1でJデビュー、最年少記録更新も「他のチームで」…22歳で下した決断「即決しました」

今季からファジアーノ岡山に加入した河野孝汰【写真:寺田弘幸】
今季からファジアーノ岡山に加入した河野孝汰【写真:寺田弘幸】

ファジアーノ岡山移籍を決断した河野孝汰

 2026年、J2レノファ山口のアカデミーで育ったFW河野孝汰がJ1ファジアーノ岡山へ移籍して新たなスタートを切る。高校1年生でJデビューを果たし、翌年の2020年7月に16歳11か月17日で初得点して当時のJ2最年少得点記録を更新。度重なる大ケガにも見舞われる悲運にも遭いながら22歳になった俊英は今、どんな思いで岡山へ移籍を決断したのか。その真意に迫った。(取材・文=寺田弘幸/全3回の1回目)

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「海外でやりたい思いがずっとあったので、22年のシーズンが終わってから海外のクラブに練習参加したこともありました。僕はレノファのアカデミーで育ってたくさんのことを経験させていただき、純粋に『他のチームでもプレーしてみたい』『ステップアップしたい』という気持ちは1人のサッカー選手としてずっとあったんです」

 これまでも新たな環境へチャレンジしたい思いを抱いていた中、このオフに岡山からオファーが届いて22歳のFWは悩んだ。25年シーズンに山口がJ3へ降格することになった責任もある。しかし、J1の舞台でプレーできるチャンスを逃したくはない。河野はいろんな人の話を聞きながら熟考した。そして、岡山へ移籍することを決めたのは木山隆之監督と会って直接話したときだった。

「岡山の強化の方からクラブの理念を聞いて、地域に密着しているところや子どもたちに夢を与えるところはレノファに近いものがあるなと感じましたし、実際に岡山の街に来て岡山駅周辺の雰囲気で、ファジアーノが根付いていることを実感して、最終的に木山さんと話をさせてもらったときに即決しました。木山さんからは『デビューした頃から見ていたよ』と言ってもらって、どういうところを評価してもらっているかだったり、いろんな話を聞かせてもらいましたけど、すごく情熱を感じて心が揺さぶられたので、そのときに決断したんです」

 もちろん、山口を離れる決断が容易にできたわけではない。昨年の10月に山口の強化部長に就任した佐藤謙介も、社長を務める渡部博文も、一緒に選手としてプレーしていた間柄。J3に降格したタイミングで移籍を告げるのは心が締め付けられる思いだったが、2人は背中を押してくれたという。

「(佐藤)謙介さんとはシーズンが終わってから面談をして、その後は電話でしか話せていないんですけど、社長には直接会って話すことができました。2人とも選手としても関わってきた先輩ですし、その後に立場が変わっても同じクラブで一緒に戦ってきた仲間なので、僕が迷っているときも『孝汰を応援したい気持ちと残ってほしい気持ちの両方がある』と言ってくれて、『どういう決断でも孝汰のサッカー選手としての決断を応援する』って言っていただいた。2人に移籍することを伝えたときも『行ってこい。応援している』と言っていただいて。そうやって快く送り出してもらえることは当たり前のことじゃないし、本当に感謝しています」

 移籍を決めたのは12月半ば過ぎ。それから年内いっぱい、河野はお世話になった人々へ挨拶に回った。

「本当にお世話になった人がたくさんいるんで大変でした(笑)。アカデミーの頃も含めてお世話になってきたたくさんの方々に挨拶をしたかったし、飲食店の方たちもそう。お世話になってきた人たち、応援してきてくれた人たちに移籍することを伝えるときは寂しさもあったんですけど、前向きに『いいじゃん』『頑張れよ』と言ってくれる方々ばかりで本当にたくさんの方に背中を押していただいた。あらためて山口の方々の優しさに気づきましたし、山口が好きだなと思いました」

 生まれ育った土地を後にし、育ったクラブとも別れを告げた河野は、新たな使命感を覚えて岡山で新シーズンをスタートしている。

(寺田弘幸 / Hiroyuki Terada)



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寺田弘幸

てらだ・ひろゆき/1980年生まれ、広島県出身。サポーターを経て2007年よりライター活動を開始。サッカー専門新聞『EL GORAZO』でサンフレッチェ広島を追いかけ、3度のリーグ優勝に立ち会った。09年からファジアーノ岡山も担当。現在もフリーライターとして主にサンフレッチェ広島とファジアーノ岡山を取材している。

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