人生を変えた伝説弾「無我夢中で」 監督ライセンス取得…名門街道で学んだ2つの鉄則

小川佳純氏はProライセンスを取得
名古屋グランパスの黄金期を支え、現在は指導者としての道を切り拓く小川佳純氏。2025年度に取得したJFA Proライセンスのため、海外研修の一環でベルギー1部シント=トロイデンVV(STVV)を訪れた。現地で「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じ、13年間のプロ生活で培った勝負師の顔と、引退後に目覚めた戦術家としての顔を見せた。連載の第1回は、彼のサッカー人生の礎となった「2つの相反する教え」と、今なお語り継がれる伝説のゴールについて。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全5回の1回目)
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ブリュッセルから東に電車で1時間。人口約4万人の小さな街を本拠地とするのがSTVVだ。気温がぐっと下がり、寒さが身にしみる日に小川氏は海を渡って、この街を訪れた。指導者として新たな道を進むため、海外研修の場に選んだのは日本人選手7人が在籍するこのクラブだ。
「自分がJリーグで監督として結果が出た先に、いずれはヨーロッパとか海外で指揮を執りたいなとも思っている。今、STVVは(選手として)海外に行く時(将来的に)5大リーグに行く“橋渡し”みたいな、そういう立ち位置で日本人の選手、スタッフも多く在籍している。ステップアップするために必要なルートがあり、ノウハウがあるクラブだと。あとはスタッフや(CEOの)立石さんだったり、色々な立場の日本人が多くいるので、日本と海外の違いや、海外でプレーや指揮を執る時に今後どういうことが必要なのかというのを知っている人が多いと思った。そういうものを知りたかった」
これまで13年間、プロのピッチで戦ってきた。引退後即、指導者の道を歩んでJFLのFCティアモ枚方の監督に就任。Jクラブのコーチを経て昨年は母校の明治大学サッカー部コーチを務めた。Proライセンスを取得し、さらなる飛躍を遂げるために振り返ったのはキャリアの原点だった。
小川氏のキャリアを振り返る時、避けては通れない鮮烈な記憶がある。2002年度、全国高校サッカー選手権決勝。千葉県代表、市立船橋高校の「背番号7」小川が大舞台で見せた、矢のようなスーパーミドルだ。あの瞬間、小川の人生は大きく動き出した。
「自分の目線からの風景は、今でも覚えています。でも、打った瞬間は無我夢中で、感情までは覚えていない。とりあえず枠に飛ばそうと思って打って、入って、気づいたら応援団の方に走っていた。高校サッカーのゴールパフォーマンスといえば、指を差してスタンドに走るのが定番。僕も自然とそうなっていた。後から映像を見て、『ああ、こんなゴールだったんだ』と」
サッカーを好きになる…名門クラブで学んだ「楽しむ」
恩師・布啓一郎監督の勇退を飾る「全国制覇」。小川は「あのゴールが今の自分に何かを与えてくれたわけではない」と冷静に話すが、同時に「多くの人に喜びを与えられた、最高の瞬間だった」という。しかし、そんな華やかな“勝負強さ”の裏側には、小川を形作った対照的な2つの指導哲学があった。
最初の原点は、街クラブの名門・三菱養和SC。幼稚園でサッカーを始め、小学3年生からは、三菱養和へ入団。出会った指導法は徹底して「サッカーを楽しむこと」だった。
「今考えると、本当にサッカーを楽しむことがメインだった。『ああしなさい、こうしなさい』と言われる指導ではなくて、コーチの方も一緒にサッカーを楽しんでプレーする姿を見せてくれる。上手くなることが楽しいと思える環境をコーチたちが作ってくれていた」
養和での日々は、技術を磨くだけでなく、1人の人間としての自己肯定感を育む場でもあった。
「学年ごとにコーチがいて、中には上の学年に飛び級する選手もいた。でも自分は、飛び級できないタイプ。悔しいし、上に呼ばれないことへの葛藤もあったなかで、コーチが『腐らずにやっていればチャンスは来る』と言ってくれた。試合に出られない選手への気遣いやサポート、一人ひとりに目を配ってくれる寄り添い方……。だから今でも毎年のように養和の初蹴りに行く。当時と同じ距離感で一緒にボールを回してくれるコーチたちが今もいてくれる。寄り添うことの価値を学びましたね」
三菱養和で“個”の楽しさを追求した小川に、次なる転機が訪れた。中学3年生の時、クラブユースの全国大会でのプレーが、名門・市立船橋高校の目に留まったのだった。
「セレクションに来てほしいという誘いを受けて、養和から4人で受けに行った。受かったのは僕と同い年の青木良太(現ガンバ大阪スカウト)の2人だった」
千葉の雄・市船に進学すると、養和とは違って“規律”と“勝利の追求”が待っていた。小川にとって、まずはギャップを受け入れること、そして新たに植え付けられた感情と向き合うことが必要だった。
目の前の相手に負けない意識
「布さんが作り上げてきた市船というサッカー部は、負けてはいけない、勝たなければいけないという集団だった。養和のような『勝ったら楽しいね』という世界とは根本的に違った。当時の市船は、走らなければいけなかったし、負けた後には厳しい練習が待っていた。まず勝つために個々が何をすべきかを突きつけられた3年間でした。戦う、走る、相手に勝つ。そういった闘争本能を剥き出しにしないといけない。当時の自分に足りなかったものを、とにかく鍛えてもらった」
徹底していたのが1対1や2対2といった極限の対人練習。「目の前の相手に勝つ」という意識を叩き込まれ、勝利へ執念を見せられるようになった。小学生時代との違いがあったことで、自らに欠けていた“闘争心”を補うことができた。
「きつい練習でやりたくないと思うこともあったけど、勝つためには一番必要な要素。今振り返れば、あの時期に戦う根本を教わったことで、プロの世界でも通用するこだわりを持つことができた。指導法に正解、不正解はないと思う。でも、僕にとっては養和でサッカーを好きになり、市船で勝負にこだわるプロ意識を植え付けられた、この2つの経験がセットだったことが重要だった。どちらか1つでも欠けていたら、あの国立のゴールも、その後のプロ生活もなかったと思う」
自由な発想を育む養和と、勝負の鉄則を叩き込む市船。技術の楽しさと、勝負の厳しさ。両極端なルーツを併せ持ったことで、多角的な視点を持つことができた。先に指導者として歩みを始める小川氏のキャリアにおいて2つの相反する教えは最大の武器になったのだ。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)

















