突きつけられた2択「プロか引退か」 佐野海舟が明かす家族の存在…弟は「サッカー友達みたい」

佐野海舟が明かす親との約束とは
佐野海舟が明かす親との約束とは

町田、鹿島を経てドイツへ…踏み入れたチャレンジへの道

 2026年、北中米ワールドカップ(W杯)イヤーを迎えた。まだ見ぬベスト8、そして頂点を目指して日々奮闘する森保一監督率いる日本代表。昨季ドイツ1部マインツへ移籍し、1年目から圧倒的な存在感を放った日本代表MF佐野海舟が「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。転機となったプロ入りのきっかけ、そしてドイツ生活を充実させる普段の振る舞いを明かした。(取材・文=林遼平/全3回の3回目)

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

   ◇   ◇   ◇   

 今では欧州で大きく評価を高める存在となった佐野海舟だが、サッカーキャリアを振り返った時、現在に至るまでの歩みは決して平坦な道ばかりではなかった。

 鳥取の米子北高校からFC町田ゼルビアへ。言葉だけを見れば、エリート街道を歩んできたように感じるが、その裏には「プロか引退か」の2択が突きつけられていた過去がある。

「高校の時、親と『プロになれなかったらサッカーを辞める』と約束していたんです。特別、上手い選手でもなかったけど、そこしかチャレンジする道もなかった。そのチャンス(町田からのオファー)がきたので、それしかないと決めました」

 J2の町田では4年間を過ごした。怪我やコンディション面で苦しんだ時期もあったが、いくつもの壁にぶち当たりながらも、自分の足りないものをコツコツと積み上げた。だからこそ、ここでの経験が佐野を大きく成長させた。

「1年目からポジションは違いますけど、試合に出続けられたと思いますし、いろいろな経験ができたなと思います。その経験があったからこそ、鹿島で自分のプレーというのをある程度初めから出せたと思う。町田でのベースが今に繋がっているのかなと思います」

 2023年に加入した鹿島アントラーズでは飛躍の日々を過ごした。加入後からすぐに主力に定着し、シーズン終了後にはJPFAアワードのJ1ベストイレブンも受賞。鹿島での日々は刺激の連続だった。

「自信を一番、得たかなと思います。自分の武器が、本当に通用する武器なんだという確信に変わった。もちろんドイツに来て、やっぱりレベルが上がって通用しないというのは経験していますけど、これが武器というのは多分、今後変わらないと思う。そこに自信を得られたかなと思いますし、鹿島のチームメイトにはいろいろな経験を持つ選手だったり、プレースタイルの選手がいるので、そういう選手たちとJ1の舞台で一緒にできたというのはプラスでした」

 マインツに移籍する際も鹿島は快く送り出してくれたという。Jリーグの舞台で1歩1歩成長を遂げてきた佐野は、これまで関わってくれた人たちへの感謝の思いを明かした。

「どの舞台でもそうですけど、やっぱり周りの人に恵まれているなと思います。チームや監督、サポーター、いろいろな人に恵まれてここまで来られたと思う。1つ1つを乗り越えてどうプラスに繋げていくかというふうにやってきた感じがある。間違いなくJリーグがあったから今があると思います」

昨年6月には兄弟揃って同じピッチに立った【写真:アフロ】
昨年6月には兄弟揃って同じピッチに立った【写真:アフロ】

北中米W杯へは「もちろん行きたい、と」

 関わりのある人物と言えば、3歳下の弟、佐野航大(NECナイメヘン)を挙げないわけにはいかないだろう。兄と同じく海外の地で戦う弟の存在について、海舟は独特な言葉で表現した。

「兄弟というより、刺激し合えるサッカー友達みたいな感じですね。連絡は結構取ります。弟もいろいろなことで頑張っていると思うし、それに負けないようにやっていければ。いい刺激をし合っているいい関係だと思います。本当に1人のサッカー選手としてお互いを見ているので、(代表で一緒になっても)あまり気にしないようにしています」

 共にW杯へ行こう、といった感傷的な言葉は交わさない。だが、その背中を意識し、互いの活躍を自らの刺激に変えているのだろう。同じプロの舞台に立つ者として、言葉以上の信頼が、2人の間には流れているように感じる。

「(W杯は)もちろん行きたいと思っていると思うし、1人1人にその思いはあると思います」

 ドイツに渡って2年目。ピッチを離れれば、佐野は1人の「生活者」としてドイツを楽しんでいる。今季からチームメイトとなった川﨑颯太に勧められてハマったF1の魅力について語り、愛犬との散歩を「最高の息抜き」と言い切る。食事にも気を遣いながら、たまにはドイツ料理を頬張る。サッカーに全てを捧げるために、あえてサッカーを考えない時間を作る。その息抜きこそが、ブンデスの過酷なインテンシティーを生き抜くための鍵となっているようだ。

「今までがめちゃくちゃ考えるタイプで、それこそ息抜きというのが概念になかった。それでいろいろ上手くいかなくて失敗とかも重なったりしたんです。今はもちろんサッカーをしている時以外にも考える時間というのはありますけど、ある程度自分でやる事だったり、その時間とかは決めて、そこで集中して自分のサッカーの振り返りだったり、次の試合に向けてというのは考え切るようにしています。休むところは休むというふうになったかなとは思いますね」

 日本での経験とドイツでの新たな経験を経て、心身ともに成長を遂げた佐野海舟。2006年に夢見たW杯。スタート地点にも立っていなかった2022年。そして、必死で掴み取ろうとしている2026年。着実に歩みを進めながら、日々の緊張感を楽しむ男は、夢の舞台に向け、今日もマインツの街でライン川の風を吸い込みながら、次の戦いを見据えて研鑽を重ねている。

(林 遼平 / Ryohei Hayashi)



page 1/1

林 遼平

はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング