目指していた「100%に見えない」 鎌田&三笘がヒント…大怪我で痛感「自分だけの大会じゃない」

天皇杯に向けて強い思いを話した中山雄太【写真:徳原隆元】
天皇杯に向けて強い思いを話した中山雄太【写真:徳原隆元】

中山雄太が天皇杯準決勝を前にインタビューに応じた

 インタビューの時間ちょうどに中山雄太は部屋に入ってきた。いつもながらのにこやかな表情だった。落ち着いた様子で背筋を伸ばし、椅子に座る。身体がリラックスしているように見えたので、思い切って厳しいことを聞いてみることにした。FC町田ゼルビアはJ1リーグ優勝争いからの脱落が決まった。常々「タイトルを獲りに町田に来た」と語っていた中山にはショックだったに違いない。センターバックとして加入し、今シーズンはボランチとしても活躍した。複数のポジションでのプレーはどう感じたのだろうか。そして何より聞きたかったのは、来年のワールドカップに向けた意気込みだった。(取材・文=森雅史)

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 リーグ優勝がなくなった事実を冷静に受け止めていた。張り詰めていた糸が緩んだわけではない。大きな目標が一つ消えた今、中山の視線は明確に次のターゲットへとロックオンされていた。

「天皇杯を絶対に取りたいと思っています。もちろん(シーズン当初も)そうでしたけど、今は気持ちの割合がフルで天皇杯を取りに行きたいということになっています」

 もちろん、残りのリーグ戦を消化試合にするつもりは毛頭ない。

「リーグ戦で言えば、プロである以上、勝つことはもちろんですけど、やれることってまた変わってくると思います。常に先を見据えると、この数試合をどう天皇杯、ACLにつなげるか。それが結局来シーズンにもつながっていくと思います。リーグ優勝がなくなったのは残念なことでもあり、プラスに捉えるとそういうことだと思いますね」

 目指す場所が明確になった今、その表情に迷いはない。それは、日本代表への距離感についても同様だった。

 2022年11月、カタールワールドカップのメンバーに選出されながら、発表の翌日にアキレス腱を負傷。サッカー選手としてのキャリアで最も大きな悲劇を味わった。懸命なリハビリを経て復帰し、昨季からJリーグの舞台に戻ってきたが、かつての指定席だった日本代表での出場は2024年1月31日以降ない。今年3月にはワールドカップ・アジア最終予選に追加招集されたが出場はなく、その後は声がかかっていない。

 そのことについて、焦りはないのか。そう問われた中山は、はっきりとした口調でこう答えた。

「もう焦りはなくなりました。しょうがないというか。人間なんで、どうしても最初はフラストレーションもストレスもありましたけど。今はナチュラルに、呼ばれたらうれしいですし、呼ばれるまで自分ができることを100パーセント続けるだけだと思っています」

 それに、と続ける。「来年のワールドカップに選ばれたらオッケーで、選ばれなかったら後悔のないように生きようとしか思っていないんです。だからそこまでストレスではないですね」

 ただ、静かに準備を続ける。「いつ呼ばれてもいい準備はしていたい」と語るその言葉には、むしろ自分への期待感すら漂う。

「むしろ今のほうが、コンディション、フィジカル的にもそうですけど、メンタル的にもいいと思いますね。余裕があるというか」

アキレス腱の怪我を機に「新しい自分にしよう」

 その「余裕」は、プレーにも表れている。時折、力をセーブしてプレーしているようにすら見える、という指摘に対して、中山は「100パーセントの力でやってないわけじゃないですけど、そう見えないところは成長の過程」だと笑いながら語った。

「(アキレス腱を怪我した)のは25歳で、サッカー選手では(選手生命の)折り返しぐらいだったんですけど、そこから『新しい自分にしよう』という思いがありました。その余裕感が、多分いろいろトレーニング含め出てきたのがあると思います」

 力任せではない、洗練された強さ。それは、彼が意識的に目指してきた姿だった。

「代表でもいるじゃないですか。なんか(鎌田)大地とか。全力でやっているんですけど、ちょっと余裕があるとか。ああいうのに近いと思います。(三笘)薫とかもやっぱりそうです。力み感がない」

 中山が三笘選手に「抜いてる?」と聞いたとき、「いや、100パーセントでやっています」と返してきたと言う。「力を抜いているように見えるということはやっぱり力み感がないんだと思ったんです。力は出ているのに出てないように見えるっていうのは目指していた場所でもあったんで、今、そうなっているのかと思いますね」

 その成長の背景には、海外でのシビアな経験がある。中山は「自分のウィークポイントを探しに海外に行った」と21歳のときの移籍を振り返る。

「日本にいたとき、自分は対人プレーがそんなに強くなかったんです。レイソルのセンターバックだからやれていると自分で思っていました。レイソルじゃないチームでは多分出られない」。それが海外移籍の決断理由だった。

「ワールドカップではうまくいかないだろう」と思っていた自分のプレーを、オランダで鍛え、イングランドでさらに磨き上げた。かつて「弱い」と自覚していた対人プレーは、「弱いから普通になれたことはもう自分にとってもポジティブ」と言えるレベルにまで引き上げられた。

 その間にポリバレントなプレーヤーになることもできた。

「昔は変な自分のプライドが邪魔をして、固執化というか、選択肢も自分で狭めていたと思います。まあ、今は大人になったというか(笑)。物事の捉え方が変わると、サッカーに対しての捉え方も幅広くなりますね。今のほうがどのポジションをやっても、いいプレーができる可能性は増えたと思いますね」

タイトルという結果を掴み取りにいく【写真:森 雅史】
タイトルという結果を掴み取りにいく【写真:森 雅史】

W杯は「自分だけの大会じゃなかった」

 静かな口調で自身の成長を語る。しかしワールドカップメンバー入りの話題になると、その言葉が熱を帯びた。

 あの負傷の直後、本人は「結構そんなに悲しい気持ちでではなかった」と、驚くほど冷静だったという。だが、その後の周囲の反応が、彼自身の考えを大きく変えた。

「自分は落ち込まなかったんですけど、やっぱり多くの人が僕よりも悲しむところを見たんです。そのとき、『あぁ、これは自分だけの大会じゃなかった』と分かったんですよ」

 日本代表という存在が、個人のものではないという事実。国民が一体となって応援し、一人の選手の離脱に、自分以上に心を痛める人々がいる。

「一人の選手に思いを寄せたり、その思いを持って戦ったりすることを考えると、一人だけの大会じゃないのがワールドカップでしたね。そのぶん、プラスアルファで僕は次の大会には思いが強いと思いますね」

 他の人から寄せられる期待が中山を強くした。「悲劇が喜劇に変わればいいと、ここ数年ワールドカップに向けてトライしています。自分のコンセプトというか、生き方もそうです」

 その舞台に戻るためにも、まずは結果が必要だ。

「日本に帰ってきたとき、『タイトルを絶対取る』というのは自分の中のノルマでもありました」。そして「タイトルを一つ獲得する」ことは、日本代表復帰に向けて誰にも文句を言われない結果でもある。

 多くの人の思いを背負う意味を、中山は知っている。その重みを力に変え、まずはクラブで明確な結果を出さなければならない。その先に、世界一の檜舞台が待っていると信じて、彼は静かに、そして確実に、代表に戻るためのパフォーマンスを示し続けてくれることだろう。

(森雅史 / Masafumi Mori)



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森 雅史

もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

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