「身近に感じていました」最多優勝監督が語る釜本さんの衝撃…今も印象に残る“右足”

鹿島アントラーズの鬼木達監督【写真:徳原隆元】
鹿島アントラーズの鬼木達監督【写真:徳原隆元】

J1リーグ第25節、鹿島アントラーズ首位に返り咲いた

 鹿島アントラーズは8月10日のJ1リーグ第25節のFC東京戦に1-0で勝利し、首位に返り咲いた。試合後の記者会見で首位に立った感想を求められた鬼木達監督は「今知りました」と笑顔を見せつつ、「選手たちには『混戦のなかで下を見る必要はない』と伝えています。唯一順位を気にするのであれば、一番てっぺんだけだと話をしています。自分たちが首位の座を守るのではなく、突き進んでいく。強い気持ちを持ってやっていく、今はそのような感覚です。」と、シーズン途中の首位浮上での心持ちについて語った。

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 現在、Jリーグはディビジョン1から3まで計60クラブが参加する巨大リーグとなった。それもサッカーが日本に浸透していった結果のことだが、まだサッカーが人気競技ではなかった当時からサッカーに真剣に取り組んできた人々がいる。8月10日に肺炎で亡くなった元日本代表FW釜本邦茂さんも、日本サッカー界を黎明期から支えてきたうちの一人だ。

 J1で史上最多4度の優勝に導いた鬼木監督は、プロになるはるか前に釜本さんと接点があったことを明かした。「プロになってからの接点はありませんが、小学生の時に釜本さんのサッカー教室に参加したことがあったので、勝手に身近に感じていました。(釜本さんが)ボールを踏みつけても、自分たちはまだ小さかったので、一生懸命ボールを蹴っても動かないでキープされる。そのあとで、あの右足でボーンと強烈なシュートを蹴ってもらいました。その時のキックというのは、すごく印象に残っています」と、小学校3年の時にサッカーを始めたという指揮官は、始めて間もないころに出会った元日本代表ストライカーから受けた衝撃をこう振り返った。

 そして、「偉大な方が亡くなったことは残念に思います。そうやって自分の心に鮮明に残っていますし、そうした偉大な方々にサッカーの歴史を作ってきていただいてきたんだなと勝手ながら思っています」と、日本代表として最多となる75得点を挙げたストライカーへのリスペクトを示した。

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