韓国の英雄から突然「契約いつまで?」 スタジアムで呼び止められ…異例の“日本語オファー”

高萩洋次郎がまさかのオファーについて話した【写真:産経新聞社】
高萩洋次郎がまさかのオファーについて話した【写真:産経新聞社】

高萩洋次郎が振り返るオーストラリアの半年間

 サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。初の海外挑戦となったオーストラリア、そして韓国でのプレーを通じて生じたプレースタイルの変化。そして「ビックリしました」というFCソウルへの“移籍劇”を明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の7回)
 
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 2015年1月にAリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズと契約を結んだ。Aリーグは秋春制のため、シーズン途中の加入となり、5月までの短期契約だった。移籍後初出場となった2月1日のメルボルン・シティ戦では、開始5分でいきなり直接FKを決めるなど順調なスタートを切った。だがオーストラリアサッカーのスタイルには衝撃を受けた。

「ちょっとラグビーに近いようなサッカーでしたね。体のぶつかり合いが結構多いというか、躊躇しない。ぶつかることに対して、ぶつかる方も、ぶつかられる方も躊躇しないんですよね。たぶん小さい頃からラグビーとかもやっているでしょうし、そこの感覚が日本とは全然違いましたね。感覚的にはこんなにぶつかってくるんだと」

 もう1つ、新しいチャレンジがあった。ウェスタン・シドニーは4-4-2を採用することが多く、広島時代にプレーしていたシャドー(攻撃的MF)のポジションはなかった。一列後ろのボランチでプレーすることになった。

「ボールも前に前にっていうサッカーだったので、あまりバックパスとか横パスを嫌がるようなサッカーでしたね。広島のサッカーとは真逆で。ただシドニーは4-4-2だったので、ボランチになったんですよね。当時のオーストラリアには捌くような、ゲームを作るみたいな選手はいなかったので。あそこでプレースタイルはちょっと変わったかなと思います」

 だが移籍の理由にもなった肝心のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)では、グループリーグ敗退に終わった。初戦の鹿島アントラーズ戦では決勝点をマークするなど白星発進したが、そこから4戦連続で勝利から見放され、グループ3位に沈んだ。勝ち点1差の2位で突破したのが、韓国のFCソウルだった。当時チームを率いていたのは、元韓国代表のエースで、ジェフユナイテッド市原や京都パープルサンガでもプレーした崔龍洙(チェ・ヨンス)監督だった。

「シドニーのスタジアムで対戦した試合後に、崔龍洙さんからいきなり日本語で話しかけられたんです。『契約どうなってるの?』と。1月から5月までの契約で夏には終わります、と話したんです。『また連絡する』と言われて、その時は終わったんですけど、後日に本当にオファーが届いたんです」

 広島でプレーしていた2014年のACLでもグループリーグでFCソウルと対戦。ホームの試合では1得点1アシストの活躍を見せ、勝利に導いていた。その姿が崔龍洙監督の脳裏に焼き付いていた。

「さすがに直接言われたのでビックリはしましたけど、FCソウルもアジアでは有名なクラブですし、対戦していたので強いことも知っていたので。よりACL優勝に近づけるかなと思ったので、韓国に行くことに決めました」

流れが変わった“監督交代”

 2015年6月にFCソウルに加入した。意外にも韓国のスタイルにはすぐに馴染めた。オーストラリアでの半年を経験していたからこそ、フィジカルの強い韓国サッカーにもすぐに適応できた。

「違和感はなかったですよ。韓国のサッカーはフィジカルは強いですけど、オーストラリアを経験していたので、日本とオーストラリアの中間みたいな感覚なんですね。もうメンバーもあの時の韓国代表が結構いて、本当に強かったですね」

 ドイツ・ブンデスリーガで活躍した車ドゥリ(チャ・ドゥリ)や、モナコやアーセナルでもプレーした朴主永(パク・チュヨン)、さらにはジュビロ磐田でも活躍したDF金珍圭(キム・ジンギュ)など韓国代表の選手たちが揃っていた。さらにはダミヤノビッチやアドリアーノら強力な助っ人陣、若手も台頭してくるなど、戦力は充実していた。その中で、3−5−2の3ボランチの一角を任された。

「これが面白かったですね。アンカーにオスマールっていうスペイン人がいて、僕が右のボランチにいて。ウィングバックにめちゃくちゃ走れる選手がいたので、もうプレッシャーにどんどんいけるので。空いたスペースは僕たち真ん中の3人が埋めていくんです。みんなうまかったですし、本当楽しかったですね。もうベテランになりつつある年齢でしたけど、さらに上に支柱となるベテランや同年代がいたので、自由にやらせてもらいましたね」

 加入2年目となった2016年にはボランチとしてのプレーも板についてきた。ACLではグループリーグで古巣のサンフレッチェ広島とホームで対戦。自身も1アシストを記録し、4-1の勝利を収めた。16強では浦和レッズと対戦し、1stレグ、2ndレグ共にフル出場を果たした。ゲームメーカーとしてだけでなく、競り合いも厭わずにボールを奪取する高萩の姿は日本でも話題になった。

「広島時代のシャドーのイメージが強かったと思うので、プレースタイルは変わったように見えたかもしれないですね。対人の部分はより求められるので。でも、どちらかというと、周りをうまく使えば、やってくれる選手が多かったので。もうシンプルにパスを出して走ってもらったり、中盤で時間を作ってというのを意識していましたね」

 ソウルの街も、人も好きだった。生活も肌に合っていた。「韓国にずっといたい」と思っていた。だがその年の夏に崔龍洙監督が中国の江蘇蘇寧に“移籍”し、代わりに黄善洪(ファン・ソンホン)監督が就任すると、流れが変わった。出場機会が徐々に減り、ACL準決勝の全北現代戦では、1stレグ、2ndレグ共にベンチ入りしたものの出番は訪れず、チームも決勝に進めなかった。

 だが契約も1年残っており、出場機会は気掛かりだったものの、移籍は考えていなかった。与えられた所で一生懸命プレーしようと決め、2017年1月のグアムキャンプに参加していた。

「全く移籍するつもりはなかったんです。ただ今シーズンも出してもらえない時間が増えるんだろうなと思いながらキャンプに入っていて。そうしたら、キャンプ中にFC東京からオファーが届いたんです。東京だったらACLも狙えるし、勝つことのできるチームだなと思いましたね。それなら行こうと決めました」

 2017年1月、FC東京に完全移籍で加わった。広島でプレーしていた2014年シーズン以来、3シーズンぶりのJリーグ復帰となった。

(FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎 / Shintaro Inoue)



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