“第2の本田圭佑”育成は「難しい」 元日本代表が振り返る素顔…現代の環境的問題「足りない気が」

秋田豊監督が“後輩”本田圭佑について言及
Jリーグ元年だった93年に鹿島アントラーズ入りし、93年5月16日の名古屋グランパスとの開幕戦のピッチにも立っていた高知ユナイテッドSCの秋田豊監督。あれから32年の年月が過ぎ、日本は7回のワールドカップ(W杯)に出場し、2026年北中米W杯で世界一を目指すところまで飛躍した。(取材・文=元川悦子/全6回の6回目)
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秋田監督は中田英寿(実業家)、中村俊輔(横浜FCコーチ)、小野伸二(Jリーグ特任理事)といった日本サッカー界を象徴するタレントとも共闘してきたが、その中でも本田圭佑は特別な存在ではないだろうか。
ご存知のとおり、本田は2010年南アフリカ・2014年ブラジル・2018年ロシアの3大会で4ゴールという離れ業をやってのけた。この記録は今も破られていない。しかも、1つ1つの発言含めて個性が際立っており、プレーヤーとして第一線から離れた今も「サッカー界の顔」と位置づけられている。
「僕は名古屋グランパス時代に星稜高校から入ってきた18歳の圭佑と出会い、2年間一緒にプレーしましたけど、彼のようなキャラクターの人間を育てるのは、今の環境だと、なかなか難しいのかなと感じますね。2005年にプロになった頃、名古屋には僕と藤田俊哉(磐田SD)という先輩がいましたけど、ああいうビッグマウス発言を僕らの前ですることはなかった。本当にかわいい後輩でした(笑)。
それでも負けん気が強かったし、大きな夢を抱いていて、その目標に向かって突き進んでいく力は物凄かった。そういうマインドを持った若手が今は少ないと感じますし、周りも彼のような人間を認めて、好きなように伸び伸びやらせるというムードが足りない気がします」
秋田監督はしみじみ語っていた。その貴重な経験を生かして、若手が自由に発言したり、やりたいことができる環境を作れれば、爆発的成長を促せるかもしれない。
高知には秋田監督のみならず、横浜F・マリノスやヴィッセル神戸、FC東京などで活躍した神野卓哉コーチもいて、お互いの意見は一致しているはず。ここからが本当のスタートなのだ。
指揮官の手腕問われる夏場の戦い「町含めてポテンシャルある」
「今の高知は25歳以下の若い選手中心なので、伸びしろは大きいですね。高知出身の選手は10番の佐々木敦河、GKの井上聖也くらいですけど、吸収力が高いと感じます。敦河なんかは最初、J3のテンポや強度、スピード感にビックリしたと思うけど、試合をこなすごとに慣れも出てきて、いいプレーを出せるようになっていますね。井上も適応が進んでいると感じます。彼らがみんなでハードワークして、走り勝って、点を取っていけば、もっと順位は上げられる。前向きな方向に進んでいけるように、できることは全てやりたいですね」と指揮官は目をギラつかせる。
15試合終了時点の高知は勝ち点17の13位。J2昇格プレーオフ圏内の6位・ギラヴァンツ北九州の勝ち点24とは7差。ここから連勝できれば、一気に上位に肉薄できるのだ。だからこそ、夏場をどう乗り切るかが重要なポイントになってくる。
高知の場合、選手たちのほとんどがサッカーと仕事を掛け持ちしており、肉体的に厳しいうえ、アウェーゲームのたびに長距離移動を強いられる。同じ四国にカマタマーレ讃岐だけで、毎回飛行機に乗って遠征しなければならない。昨季までいわてグルージャ盛岡にいた秋田監督は地方クラブの大変さを熟知しているが、夏の暑さは想像以上かもしれない。そのマネジメント含めて、手腕が問われてくるだろう。
「今季Jリーグに初めて加わった高知というクラブはまだまだ発展途上ですけど、町含めてポテンシャルはすごくありますね。高知県は観光で注目されていますし、人もお金ももっと呼び込めると思う。アウェーで訪れるサポーターにもっとお金を落としてもらうことができれば、いい循環もできるし、自治体や企業の投資も増えるのではないかと感じます。
そうなるように、まずは自分たちがいい戦いを見せないといけない。5月はテゲバジャーロ宮崎と讃岐に2連敗したものの、17日のザスパ群馬戦を2-2のドローに持ち込み、何とか悪循環を立ち切れた。この試合も最後の最後に杉山怜央が同点弾を叩き込んで勝ち点1に持ち込んだという意味で非常にポジティブでした。
これを先につなげるべく、選手個々の能力を引き上げ、チーム力をアップさせられるように頑張っていきます」と秋田監督は改めて意気込んだ。
今季J3には、かつて鹿島・日本代表で共闘した鹿児島ユナイテッドの相馬直樹監督、2度のW杯でともに参戦したアスルクラロ沼津の中山雅史監督らもいるだけに、絶対に負けられない。彼らと切磋琢磨しながら、見る者を驚かせるようなチームを作り、大躍進を遂げる秋田監督の姿を楽しみに待ちたいものである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。