「2位も最下位も一緒」 刷り込まれる常勝軍団のDNA…J3監督が築き上げる“人材育成”

高知の秋田豊監督【写真提供:高知ユナイテッドSC】
高知の秋田豊監督【写真提供:高知ユナイテッドSC】

秋田豊監督が思う常勝・鹿島アントラーズ

 秋田豊という偉大なサッカー人を語るにあたって、絶対に避けて通れないのが、鹿島アントラーズ時代のキャリアである。(取材・文=元川悦子/全6回の4回目)

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 以前のインタビューで人生のターニングポイントを3つ挙げてもらったことがあるが、「1つ目はジーコ(鹿島アドバイザー)との出会い、2つ目が96年に怪我をした際に相棒だった先輩・奥野僚右さん(現日本サッカー協会インストラクター)から戦術眼や読みを学んだこと、3つ目が98年フランスワールドカップ初出場」と発言したとおり、全てが鹿島時代の出来事である。「『最終的に首位にいないと何の意味もない』と常日頃から当たり前のように考えていました。僕らの頃は2位なんて意味のないもので、『2位も最下位も一緒。1位じゃないとダメ』というのが当時の鹿島だったんです」と鉄壁DFは語気を強める。

 あれから30年近い時間が経過し、鹿島は”常勝軍団”という看板が遠のきつつあった。最後にJ1タイトルを獲ったのは2016年で、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇を果たした2018年からは7年も経過している。その年を最後に小笠原満男(現アカデミー・テクニカル・アドバイザー)が引退。2021年末には強いチームを築き上げた敏腕強化部長の鈴木満アドバイザーも第一線を離れている。秋田監督がそんな古巣に寂しさを感じていたのは紛れもない事実である。

「今年から監督として戻ってきた鬼木(達)は同期入団の仲間。後輩の中田浩二もフットボールダイレクター(FD)になり、ここまでは首位をキープしている。それは嬉しいことですね。鹿島も僕らの時代とは環境が変わっていると思うし、J1の勢力図の変化や選手の海外移籍加速などもあって、いろいろ難しさはあると思います。だけど、古巣に戻って監督をするのはやりがいのあること。やっぱり鹿島が9年もJ1タイトルから遠ざかっているというのはあり得ないことだし、鬼木もそう考えていると思う。浩二ともたまに話はしますけど、また昔のようなクラブになってほしいと強く願っています」

 鹿島から須藤直輝をレンタルで獲得したことも、秋田監督なりに古巣に貢献したいという思いの表れなのかもしれない。

逸材を“育てる”場「できること・できないことを明確にする時間は有益」

 2021年に昌平高校から鹿島入りした彼は、プロ1年目はYBCルヴァンカップ2試合に出場しただけで、2年目の2022年は当時J2のツエーゲン金沢へレンタル移籍。そこでリーグ15試合に出場し、2023年に戻ってきたが、そこから2年間は一度もピッチに立つ機会がないまま、今季を迎えていた。

 昌平の同期である小見洋太(柏)は2024年パリ五輪日本代表の最終候補まで残り、2024年ルヴァンカップ準優勝の原動力となったが、須藤は「18歳問題」にぶつかり、長い足踏みを強いられていた。

「試合出場経験がない分、判断だったり、プレーの思い切りなんかは足りないところは見受けられる。練習や試合を見ていても『もっとできてもおかしくない』と感じることが少なからずありますね。ただ、ハードワークはできるし、戦える。鹿島から来ているとかそういう事情は関係なしに、チームにフィットしるかどうか、自分が求めるものにしっかりコミットしてくれるかどうかをフェアに判断していますけど、須藤はそれができているから、徐々に試合出場数も増えています。

 須藤みたいな選手を『もっと早く下のリーグにレンタルさせるべき』という意見も多いと思います。選手自身もJ1トップクラブから離れたくないだろうし、プライドも邪魔するところがあるのかもしれない。難しい事情はありますけど、やっぱり違う環境に赴いて、自分にできること・できないことを明確にする時間は有益でしょうね。高知をそういう場所にしていきたいですね」

 指揮官は神妙な面持ちでこう語ったが、「秋田監督のところに行けば、大きく伸ばしてもらえる」という信頼を若い選手たちから勝ち取ることができれば、試合に出られていない上位リーグの逸材がより多く確保できるようになるかもしれない。資金力の低い高知にとっては、そのブランド作りも成功への大きなポイントになるかもしれない。

 実際、「秋田監督のおかげでサッカー選手を続けていられる」と感謝している選手はいる。その1人が、いわて時代の教え子で、今季からザスパ群馬でプレーする加々美登生だ。

活動休止を強いられていた加々美に差し伸べた手「ピッチ内外でいろんなことを」

 桐蔭横浜大学から2021年に秋田監督が率いていた当時のいわてに入り彼は、2022年10月にチームメイトだったタビナス・ポール・ビスマルクが酒気帯び運転で警察の任意捜査を受けた際、同乗者だったことから厳重注意処分を受け、4か月後の2月末まで活動休止を強いられていたのだ。

 その後、2023年4月から試合に復帰し、今季から群馬に新天地を見出したが、5月17日の高知戦で豪快な恩返し弾を奪うに至った。

「『恩人』というのもおこがましいですけど、プロの世界を知らずにいた自分に対し、日本代表のキャリアや経験を持つ秋田さんが戦う部分を含めてピッチ内外でいろんなことを教えてくれました。今、新たな環境でサッカーできているのも当たり前じゃないし、感謝しながら毎日取り組めています」と加々美はしみじみと語っていた。

 秋田監督の懐の深さ、人間味のある部分が高知の選手、そして他チームの若手にも伝わり、「ぜひ一緒にやりたい」という前向きな意欲を持って集まってくれれば、高知はかなりいい方向に進むだろう。そうなるように、54歳の指揮官はまずは目先の練習・試合に全力を尽くし、勝利を貪欲に目指していくつもりだ。(5に続く)

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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