Jユース&強豪校オファー殺到も…優先した憧れ プロ入り幼馴染は「オーラが違った」

帝京長岡の水澤那月【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
帝京長岡の水澤那月【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

帝京長岡の水澤那月、憧れ田中克幸と同じ背番号7に「鳥肌が立ちました」

 ボールを持ったら細かいボールタッチと一瞬のスピードを駆使した切れ味鋭いドリブルで左サイドをえぐっていく。帝京長岡の3年生レフティー・MF水澤那月は165センチと小柄だが、ずば抜けた身体能力を誇り、秘めたパワーは凄まじいものがある。

 彼のドリブルは独特のリズムがあり、かつ身体の使い方が非常にうまい。足先のフェイントだけではなく、身体をグッと前に入れてボールを隠すようにドリブルができるし、相手の前に入れて、ブロックしながら前に進むことができる。さらに守備面でも鋭いプレスバックでボールと相手の間に身体をねじ込んで奪い取ることもできる。

 その能力が買われ、昨年は左サイドバック、左サイドハーフの両方で起用され、インターハイでは全5試合にスタメン出場してベスト4入りに貢献した。

 プレミアリーグWESTの第5節のガンバ大阪ユース戦。この試合は1-2で敗れたが、彼が左サイドでボールを持つとG大阪ユースは複数人でマークに行くも、彼は全く臆することなくドリブルを仕掛けて何度も突破からチャンスを作り出していた。

「昨年まではプレーに波があってチームに迷惑をかけたからこそ、もっとやらないといけないし、今年に懸ける思いは相当強いです」

 こう口にする理由はただ単に最高学年を迎えたからではなく、今年から託された7番に対する彼の責任感と使命感から来るものであった。

「僕がずっと憧れている田中克幸選手(北海道コンサドーレ札幌)が帝京長岡時代につけていた番号なんです。ずっとつけたくて、今年、古沢徹監督から手渡された時は鳥肌が立ちました」

 水澤は田中と同じ岡山県津山市にあるFCヴィパルテの出身。家が近所で、水澤の6歳上の兄が田中と同級生で仲が良かったという。

「小さい頃からカッちゃんが家に遊びに来ていましたし、2人のサッカーの送迎を僕のお母さんがやることもあって、僕もよくついて行っていました。凄く優しくて、もう1人のお兄ちゃんのような存在でしたし、サッカーになると一人だけオーラが違って、もう憧れでした」

 田中が新潟の高校に進学をしたことは知っていたが、帝京長岡のことは知らなかった。

「でもカッちゃんが高2のときに選手権に出て、そこで初めてテレビでプレーを見たら、憧れが強まったというか、『帝京長岡に行きたいな』と強く思うようになったんです。この大会で中心選手としてベスト8に進出して、高3になったらベスト4まで勝ち進んで、埼玉スタジアムの大観衆の前でプレーする姿が本当にカッコよかった。『僕もこのユニフォームを着てプレーがしたい』と心から思ったし、『7番を背負いたいな』とも思いました」

 小学校で自分の夢を発表する作文では、「僕の夢は帝京長岡に行ってサッカーをすることです」と書いてクラスで発表をした。

 兄と田中もプレーしたFCヴィパルテで頭角を現し、田中と同じ左利きというのもあり、「田中克幸を彷彿とさせる選手」として注目を集めた。中学3年生になると彼の元には地元のファジアーノ岡山U-18、岡山学芸館高を始め、県外の複数の強豪校からオファーが届いた。あまりの数に少し迷ったと言うが、彼は自分の憧れを優先した。

 自分で帝京長岡のホームページから練習参加を申し込んだ田中によってつながった縁もあり、彼は帝京長岡のセレクションを受けて見事合格。単身で新潟にやって来た。

 1年生の頃は好不調の波が激しく、うまくいかなくなると苛立ちからプレーの精度を欠いてしまうことがあった。2年生でレギュラーを掴むも、まだプレーの波が残ったが、今年になって7番を託されたことで意識が大きく変わった。

「特別な番号を与えてもらって、責任重大だと思っています。(田中と)同じような結果を残せというメッセージだと受け止めているからこそ、自分の課題にきちんと向き合って、チームの勝利のためにやりたいと思っています」

 今の夢は田中もなし得なかった帝京長岡での全国制覇と、将来はプロになって憧れの存在と一緒にプレーをすることだ。

「カッちゃんに『一緒にやりたいな。パスを出したいな』と思わせられるような選手になりたいです」

 憧れから目標へ、目標からライバルへ。水澤は心に大きな柱を持って7番の重責を担う。

(FOOTBALL ZONE編集部)

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