バットマンから「キャプテン」へ 宮本恒靖の再ブランディングについて

ドイツW杯での誤算   そこで次の海外移籍のタイミングは06年大会後だと考え、W杯で活躍して世界に羽ばたくプランで下準備を進めましたが、誤算でした。ドイツへの移籍話を優先的に進めていたのに、W杯の惨敗によってドイツ国内で好感触を得ることが困難になってしまったのです。   さらに大会終了後の宮本も精彩を欠き、本調子を取り戻せずにいた。もともとの目的とは違いましたが、われわれは今すぐにでも環境を変えるべきだと判断して行動に移しました。   その後、レッドブル・ザルツブルクのスポーツディレクターらを日本に呼び、試合を観てもらうところまでこぎ着けました。当初クラブ側は移籍に難色を示して交渉が進みませんでしたが、私も粘りました。Jリーグアウォーズの直後、ホテルで待ち構えて社長に直談判して怒られたことは、今では良い思い出です。   そうして実現した移籍は、レッドブルサイドにマーケティング戦略という思惑がなかったわけではないでしょう。国内リーグではジョバンニ・トラパットーニ監督の下で首位を走り、シーズンを半分残して2位以下を大きく引き離していましたし、戦力として大きな期待を寄せていたかの判断は難しいところです。   ただ、移籍した宮本が周囲の期待以上の活躍を見せてくれた。契約を延長し、翌年のチャンピオンズリーグ出場も自らの力でつかみ取ってくれました。そのような彼の努力もあって、ザルツブルグへの移籍が成功に終わったのだと思います。  

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