異色だった浦和・槙野智章の行動力 古参サポーターから反発招くも――「レッズのために」立ち上がった男の10年
個性の強いキャラクターに、加入当初は周囲から冷たい目も
浦和レッズの元日本代表DF槙野智章は、今季限りでの契約満了が発表されて10シーズンの在籍を終えることになった。その間には、個性の強いキャラクターもあり多くの話題を提供してきた。
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槙野はサンフレッチェ広島の下部組織からトップ昇格し、その後にドイツのケルンへ移籍。広島時代の恩師ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が浦和に就任した2012年に、出場機会に苦しんでいたケルンからの期限付き移籍という形で浦和にやってきた。そして、翌年には完全移籍で浦和の一員になった。
浦和は2003年にヤマザキナビスコ杯で初タイトルを獲得すると、07年までがリーグ優勝やアジア制覇も果たした黄金期と言えた。しかしこの時期は低迷して、前年の11年にはJ1残留争いをギリギリのところで生き残った。サポーターも含めクラブを取り巻く空気もポジティブなものばかりではなく、観客動員への苦戦も話題になる時期だった。
その浦和にやってきた槙野は初年度に、浦和サポーターが歌う「We are Diamonds」を、勝利した試合のピッチ上に選手も残って一緒に歌うことを提案。これには、特にJリーグ発足当初から長く応援するサポーターからの異論や反発も多かったが今では定着した。
これについて槙野は「提案した当初は『よそ者が勝手なことをするな』など、いろいろと言われましたが、これまでレッズを引っ張ってきた先輩方が、『こういうことをやりたかったんだよね』と言ってくれました。『あの時間がすごく好き』と言ってくれるファン・サポーターの方々もいました。なので、続けることができました」とも振り返っている。
他にもアンダーシャツに粋なメッセージを書き込むこともあった。2014年にはFW原口元気がドイツ移籍する際に「浦和→ドイツ=ロシアW杯 バイバイ泣き虫ゲンキ!! 元気!!」と激励のエールを書いたものを着込んだ。記憶に新しい今季のリーグ最終戦では、トップカテゴリーの審判を勇退する村上伸次レフェリーに「村上さんの笑顔が僕たちを気持ちよくプレーさせてくれました」などのメッセージを送り、“最後のイエローカード”を出させるなど、自分が何か行動を起こして場を盛り上げるタイプだった。