珠玉の逸材たちがズラリ 日本サッカーの新たな扉を開いたJ創成期の「スーパールーキー」たち

中田英寿は中盤で8ゴールをマーク、のちにイタリアへ

 その1995年にデビューしていたのが、のちに日本サッカーの伝説的な存在に成長していくMF中田英寿だった。山梨県の韮崎高からベルマーレ平塚(当時)に加入すると、トップ下として活躍。前年度に天皇杯を制していた若く勢いのあるチームで、MF岩本輝雄らと中盤を組んで8ゴールの活躍だった。城に続く2桁ゴールとはならなかったが、ポジションがストライカーでないことを加味すれば、やはり傑出した活躍だと言えたのだろう。

 こうした彼らに、Jリーグ開幕前年に横浜フリューゲルスに加入していたMF前園真聖らを加えたメンバーが、1996年のアトランタ五輪へ日本サッカー28年ぶりの出場を勝ち取り、本戦では「マイアミの軌跡」と呼ばれるブラジル撃破も果たした。さらには、中田がイタリアへ移籍すると、城はスペイン、川口はデンマークやイングランドといったヨーロッパに出ていって、日本人選手が欧州で認められるための先駆者になっていった。

 当時は各クラブとも全体に今ほど選手層が厚くなく、試合数も非常に多かったのでルーキーの選手たちが出場機会を得やすい環境にあったのは事実だろう。それでも、10代のうちに絶対的なレギュラーを獲得してJリーグで傑出した成績を残すのは並外れたものがなければ不可能なこと。Jリーグ開幕により、日本サッカーの新しい扉が開いたのと歩調を合わせるように飛び出してきたスターたちが、サッカーやJリーグの魅力を大いに広めたのは間違いない。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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