「『仲良し集団じゃダメだ』と言われるけど…」 槙野智章、浦和メンバーとの“絆”に涙 契約満了であふれた想い

浦和DF槙野智章【写真:Getty Images】
浦和DF槙野智章【写真:Getty Images】

浦和在籍期間中に見せた“自己改革力”、「つらかった」試合も吐露

 浦和レッズの元日本代表DF槙野智章は、17日にオンラインで記者会見を行い、今季限りでの契約満了について話した。2012年の加入から10年間は大きく2つの時期に分けられるが、「2017年のACL決勝は特別なもの」と話した。

 槙野はサンフレッチェ広島の下部組織からトップ昇格し、その後、ドイツへ移籍してケルンでプレー。そして、広島時代の恩師でもあるミハイロ・ペトロヴィッチ監督の就任と同じタイミングになった2012年に浦和へ加入した。

 初年度はケルンからの期限付き移籍だったが、2年目からは完全移籍に移行して今季まで10シーズンプレー。その間に、16年にルヴァンカップ、17年にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)、18年に天皇杯のタイトル獲得を経験した。

 12年の加入は、ミシャの愛称で知られるペトロヴィッチ監督が浦和に新たな戦術を授ける時期であり、そのサッカーを経験している槙野や当時所属のMF柏木陽介がピッチ上で周囲に理解を深めさせるキーマンになった。その後、DF森脇良太やGK西川周作、FW李忠成といったペトロヴィッチ監督の指導を経験している選手が増えてくるなかで、槙野は不動の左ストッパーであり、パスワークを軸とした攻撃的なサッカーにおいて、前線にも積極的に出ていくDFとしてプレーした。

 その時期を槙野は「ペトロヴィッチ監督が僕をレッズに連れてきてくれて、ミシャのピースに合う選手として最大限を発揮しようとした。時間とともに、自分がこうしていかないといけないとか、チームが勝つことを考えるようになりましたね」と変化を語る。しかし、17年夏にペトロヴィッチ監督が浦和を去ると、浦和は多くの監督交代を経験しながら、まったく反対の堅守速攻をベースにしたサッカーに変化していった。

 所属選手が変わらないなかでチームの方向性が変化し、順応に苦戦する選手が多く現われた時期のなかで、槙野は攻撃参加ではなく対人守備、4バック、ゾーンディフェンスといった、その時々の監督が求めるものに自分が合わせていく自己改革を見せてきた。

「ザックさん(アルベルト・ザッケローニ氏)、ハリルさん(バヒド・ハリルホジッチ氏)のチームに呼ばれて、どうやったら日本代表でいられるかも考えました。5年間でプレースタイルも、考えることも変わりました。そのなかでタイトルも取ったし、サッカー人生の中での夢だったワールドカップにも出られた。たくさんの監督の指導や、方向転換があってできたことでもあった。どういう監督の下、どういうプレーをしていかなければいけないのかと」

 その日々について槙野は「一番は選べないですよ。いい試合もいい思い出だし、負けた試合も僕にとっていい思い出。ただ、2017年のACL決勝は特別なものがあったかな。あとはチャンピオンシップで負けた時かな。あの時はつらかったですね」と、17年のACL制覇と、16年に年間勝ち点1位ながら当時2ステージ制だったなかで臨んだチャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れ、リーグ優勝を逃したことを挙げた。

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