日本代表と「五輪経由W杯行き」 大会直後にA代表で飛躍、英雄になった“歴代3人”

北京五輪での悔しさを糧に長友佑都は急成長

■長友佑都(2008年北京五輪→2010年南アフリカW杯)

 現在の反町康治技術委員長が監督を務めた北京五輪は、アメリカ、ナイジェリア、オランダという強豪相手に3戦全敗で終わってしまったが、歴代の五輪代表でも最もA代表の中心選手を輩出したチームの1つとして強く記憶される。

 吉田麻也、内田篤人、本田圭佑、岡崎慎司などがそうで、“飛び級”選出だった香川真司もその1人だ。ただし、2年後の南アフリカW杯で主力を担うまで飛躍したメンバーは本田、長友、岡崎の3人だった。そのなかでも長友は2008年に大きな飛躍を遂げて、日本代表でもクラブレベルでも輝かしいキャリアにつなげている。

 北京五輪を直前に控えた5月に岡田武史監督が率いていたA代表に抜擢されて、キリンチャレンジカップのコートジボワール戦でワールドクラスの選手だったエマニュエル・エブエを完封して大きな注目を浴びた。その勢いで北京五輪も躍進に導くことが期待されたが、チームはすべて1点差負けで3戦全敗という屈辱を味わい、長友も本領を発揮しきれなかったことを認めた。

 しかし、その悔しい経験を糧に所属するFC東京で走法の改良などに努めて、南アフリカW杯では左サイドバックの主力としてカメルーン代表のサミュエル・エトーを封じ切る大仕事をやってのけるなど、ベスト16進出に大きく貢献。本田、岡崎とともに五輪からW杯の成功につなげた代表的な1人となった。

 その後のセリエAでの活躍やブラジルW杯での挫折、さらにロシアW杯での活躍なども記憶に新しい長友だが、34歳となった現在もバリバリのA代表主力で、本人も左サイドバックのレギュラーポジションを簡単に明け渡すつもりはないようだ。

(河治良幸 / Yoshiyuki Kawaji)



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河治良幸

かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。

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