J3から“212日間”でマンC移籍 食野亮太郎、“逆襲の1年”で確信「自分の強みは通用する」

昨季1シーズン、スコットランドのハーツでプレーしたFW食野亮太郎【写真:Getty Images】
昨季1シーズン、スコットランドのハーツでプレーしたFW食野亮太郎【写真:Getty Images】

【食野亮太郎インタビュー|第1回】J3からマンチェスター・シティへ移籍…海外1年目は「学べた」

 J3から強豪マンチェスター・シティへ――。昨年、ガンバ大阪U-23でのシーズン始動から、たった7カ月でプレミアリーグ移籍を実現させたU-23日本代表FW食野亮太郎が、海外初挑戦の1年を終えて「Football ZONE web」の単独インタビューに応じた。昨年夏にG大阪からシティへ完全移籍。労働許可証の問題から直後にスコットランドのハーツへレンタル移籍で武者修行に出た。新天地での海外挑戦1年目は19試合3得点。来年夏への延期が決定した東京五輪に向けても、U-23日本代表の一員として活躍する食野の思いとは――。連載第1回はハーツでの1年間を振り返る。

 たった212日間で人生を変えた男――。2019年8月9日、衝撃のニュースが発表された。食野がプレミアリーグの強豪マンチェスター・シティへの完全移籍を実現させた。G大阪のジュニアユースからユースを経て2017年にトップチームに昇格し、なかなかJ1での出場機会に恵まれないまま、19年には勝負のプロ3年目を迎えた。しかし、始動日の1月9日、食野の立ち位置はJ3に所属するU-23チーム。キャンプもトップチームに同行できず、J1開幕戦の横浜F・マリノス戦ではベンチに入れなかった。それでも、半年後には海外移籍を決めた。

「去年はU-23からスタートした2019年だったけど、1年通してみたらすごく飛躍できた年かなと思います。移籍して海外のチームでシーズンを通してみると、出だしこそ良かったけど最後に向けて失速していった感じはあるので、試合に出ていなかったり、結果を残せていなかったり、ちょっと悔しいシーズンになりました。でも海外1年目なのでそこまで悲観することなく、いろいろ学べたことがあるので、次に生かすために『学んだシーズン』かなと感じています」

 大阪府泉佐野市に生まれ、この地に栄えた豪商・食野家の末裔。中学から入団したG大阪のジュニアユースでは、同期が日本代表でも主力を担うMF堂安律(PSV)だった。堂安は一足早く16年にトップチームへ飛び級昇格を果たすなど飛躍を遂げる一方で、食野はコツコツと努力を重ねてきた。食野が初めてJ1のピッチに立ったのは18年4月。腐らずに自身を信じて練習してきた結果、19年序盤にG大阪U-23としてプレーしたJ3では8試合8得点という無双状態となり、4月末にはトップチームに同行。そして迎えたJ1第11節サガン鳥栖戦での一撃が人生を変えた。

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