「涙がこぼれた」 親日家のファンタジスタ、日韓W杯の未練を激白「日本に何度も…」

2002年のブレシア時代のロベルト・バッジョ【写真:Getty Images】
2002年のブレシア時代のロベルト・バッジョ【写真:Getty Images】

新星MFの負傷を受けてバッジョ氏が告白 「最後のワールドカップに行こうと…」

 世界屈指のファンタジスタとして活躍した元イタリア代表FWロベルト・バッジョ氏にとって、2002年の日韓ワールドカップ(W杯)は苦い思い出として残っているようだ。「日本に何度も行ったよ」「多くの涙がこぼれた」と激白している。イタリア紙「コリエレ・デロ・スポルト」が伝えた。

 イタリアの英雄バッジョ氏は、母国開催の1990年大会をはじめ、94年アメリカ大会、98年フランス大会と3度のW杯に出場。アズーリ(イタリア代表の愛称)の10番を背負うなど稀代のファンタジスタとして君臨し、観客を魅了する華麗なプレーで一時代を築いた。そんな天才にとって、2002年の日韓W杯は未練が残る大会となったようだ。

 ローマのイタリア代表MFニコロ・ザニオーロが1月14日に右膝前十字靱帯断裂で手術。復帰まで半年近くを要すると見られ、欧州選手権も欠場する可能性がある。20歳の新星MFの負傷を受けて、バッジョがイタリア紙「コリエレ・デロ・スポルト」に“苦い思い出”を明かしている。

「私もニコロのように短期的な目標があった。私の場合はワールドカップ、彼の場合は欧州選手権だ。日韓W杯を目指し、最善を尽くしていた。日本に何度も行ったよ。夜、夢の中でね……」

 バッジョ氏は2002年6月の日韓W杯を目の前にした1月末に左膝靭帯を損傷。全治6カ月の重傷と診断されるも必死のリハビリを行い、4月21日に復帰を果たした。当時35歳のバッジョは復帰後にゴールを決めるなどW杯に向けて調子を上げていたが、ジョバンニ・トラパットーニ監督はコンディション面を理由に選ばず、バッジョ氏は落選の憂き目に遭っている。

 日韓W杯への未練を口にしているバッジョ氏。「手術後2週間で体重は12kg落ちた。多くの涙がこぼれたのを覚えている。最後のワールドカップに行こうと、10時間トレーニングした時もあったよ」と苦しい時期を振り返る。

 最終的に日韓W杯出場を逃したバッジョ氏だが、若い才能の苦境に際して「私が35歳の時、77日でピッチに戻った。22歳の彼には前途洋々の未来があり、どれだけハードに自分を追い込むかは彼次第だ」と、独特な言い回しでエールを送っていた。

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(FOOTBALL ZONE編集部)



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