五輪予選とキーマン負傷 野津田の最終予選絶望で繰り返された苦悩の歴史

1次予選で悲劇の重傷を負った”天才”

 そして「史上最強」と言われたチームが臨んだ1999年のシドニー五輪予選では、1次予選最終戦となった7月のフィリピン戦で”天才”小野伸二(現札幌)が左膝靭帯断裂の重傷を負い、10〜11月の最終予選への参加が不可能に。復帰後もコンディション不良が続き、本大会メンバーから無念の落選となった。

 2004年3月のアテネ五輪最終予選前にも、主力選手の怪我に悩まされた。ボランチの軸だった阿部勇樹(現浦和)が前年12月の練習で右足第5中足骨を骨折。予選前半のUAEラウンドには間に合わなかったが、後半の日本ラウンドで復帰し、レバノン戦では見事なFK弾を決めて出場権獲得に貢献した。

 反町監督率いる2008年の北京五輪最終予選初戦のベトナム戦直前にはDF伊野波雅彦(現磐田)が左足首の捻挫で離脱していた。ゲームキャプテンを務めるなどチームの信頼を集める伊野波は最終的には五輪メンバー18人から外れている。

 五輪の出場枠を巡る争いは常に熾烈を極めるが、今回は特に困難が予想されている。リオ五輪最終予選はホーム&アウェーのリーグ戦方式ではなく、日本が不得手とする一発勝負のトーナメント方式。3位以上に与えられる出場権を手にするには、グループステージを突破し、決勝トーナメントで2勝しなくてはいけない。

 そうした中で起きた野津田の負傷離脱。6大会連続の五輪出場権獲得を狙う手倉森ジャパンに、暗雲が漂っている。

【了】

サッカーマガジンゾーンウェブ編集部●文 text by Soccer Magazine ZONE web

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images

 

page1 page2

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング