鄭大世「監督になりたい」 “中年の危機”→JFLで現場復帰…渇望した天国と地獄を味わう生活

Y.S.C.C.横浜コーチ就任の経緯と選んだ理由
2006年に川崎フロンターレでプロ生活をスタートさせてから、ボーフム、ケルン、水原三星、清水エスパルス、アルビレックス新潟、FC町田ゼルビアの7チームで17年間のキャリアを積み重ねた元北朝鮮代表FW鄭大世。引退時には「サッカーはもうやり切った」とスッキリした表情で語っていた。そんな彼が今年8月、JFL参戦中の横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C.横浜、以下=YSCC)のコーチに就任するというビッグニュースが舞い込んだ。解説やタレント、事業に奔走し充実した時間を過ごしていたにもかかわらず、なぜ4年ぶりにピッチに戻ってきたのか。同クラブの練習場を尋ね、本人を直撃した。(取材・文=元川悦子/全5回の1回目)
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2026-27シーズンJFLが開幕したばかりの9月中旬。鄭大世は横浜市中区にある横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC&AC)のグランドにいた。
YSCCはJ3が発足した2014年から11年間、同カテゴリーで戦っていたが、24年シーズンに19位に沈み、入替戦でも敗戦。25年からはJFLでの戦いを余儀なくされている。
その後、J3再昇格を目指して奮闘しているが、長嶺寛明(現FCジュロンコーチ)、尾松剛(現沖縄SV監督)、三枝寛和と1年半で指揮官が3人代わる苦境に直面。現在はスペインでの指導経験のある32歳の砂川太希監督代行を中心にチーム作りが進められている状況だ。
そこに鄭大世がコーチングスタッフとして加わったわけだが、驚くべきことにきっかけは自分からの売り込み。「指導者になりたい」という思いが日に日に湧き上がり、このクラブの扉を叩くことになったのだという。加入までの経緯を次のように熱く語った。
「2022年末に町田で現役を退いてからの3年半は、本当に幸せな時間を過ごしていました。僕にとっては家族との時間が何よりも大事で、それをたっぷり取りながら、週末は解説やイベントなどの仕事で忙しくさせてもらっていました。自分はテレビカメラの前に立つのが好きで、そこに行くと明るくなるし、よく喋れるようになる。本当に僕に向いた仕事だなと感じつつ、やりがいを持って取り組んでいました。
でも、40代に突入してから、『ミッドライフ・クライシス』が来たんです(苦笑)。『今はすごく充実しているけど、このままでいいのか。人生の残り半分をどう過ごすべきなのか』という疑問が湧き上がってきましたね。
『このまま平坦な日々を過ごすのは、すごくもったいないな』という思いも生まれてきた。選手時代の自分は精神的にメチャクチャ振り回されていたし、毎週天国と地獄を味わっていましたけど、『ああいう時間を過ごすことで本当の意味で人生を全うできるんじゃないか』とも思えてきて、どうしたもんかと迷い始めました。
そこで頭に浮かんだのが、監督になりたいということ。そのためには指導経験を積まなきゃいけないし、Proライセンスも取らないといけない。メディアの仕事も続けたい。葛藤の真っ只中にいた6月9日、僕は大好きなヒップホップアーティスト『AK-69』のライブに行きました。『NOROSHI』という曲を聴いていたら涙が流れてきて、『指導者の道を踏み出そう』と背中を押された気がして決意したんです。
そこからプロ入り時の代理人である田邊伸明さん(JEBエンターテイメント代表)に電話を入れて相談したところ、YSCCの話が浮上した。ここなら僕は自宅から通えますし、メディアの仕事も継続できる。チームにいる選手たちもポテンシャルが髙いし、意欲を持って指導できる。すべての条件が当てはまったんです。もちろんギャラは多くないですけど、僕が大事にしているのはそこじゃない。本当にいいところが見つかったので、8月17日の週からコーチとして働かせてもらうようになりました」
とはいえ、鄭大世ほどの高度な選手キャリアの持ち主であれば、より高いレベルの環境で指導できるチャンスもあっただろう。Jリーグ屈指のストライカーとして名を馳せた彼なら、優れた点取り屋を育成することも可能だし、その能力を評価してくれるクラブはほかにもあったに違いない。かつてプレーした川崎や清水、町田なども候補として考えてよかったはずだ。
「僕の場合、監督になりたいという目標が明確なので、Jクラブに入ってしまうと、コーチから少しずつステップアップしていく分、時間を要してしまうかなという危惧の念がありました。その点、YSCCは今、砂川代行が中心となって指導しているので、自分も積極的に関われますし、より監督に近い立場でグランドに立てると考えました。
YSCCには今年3月からサガン鳥栖やFC琉球で強化に携わった竹原稔さんがGMに就任し、強化にも関わっているのですが、僕の意向を汲んでサポートしてくれている。それもすごくありがたかったですね。
指導者としてやるべきことを学んで、いち早く監督業に近づいていくためのベストな環境がこのクラブだと僕は確信しました。砂川代行やほかのスタッフも僕の考えを尊重してくれていますし、選手もリスペクトの念を持って接してくれている。最初の一歩としては理想的な場所だと感じています」
26-27シーズンのJFLは8月29日に開幕。YSCCは初戦・FCティアモ枚方戦を1-0で勝利し、白星発進した。9月に入ってから初黒星を喫したが、まだまだここからが本番だ。鄭大世コーチも平日は朝から自転車で約1時間かけて練習場に通い、週末はアウェーの試合にも帯同。深夜にはDAZNやU-NEXTで海外リーグの解説をこなすといった超多忙スケジュールをこなすようになった。
引退から3年半はもう少しゆとりのある時間を過ごしていたはずだが、これこそが彼の言う「本当の意味で人生を全うする生き方」なのだろう。かつてのピッチ上で表現していた闘争心やギラギラ感を取り戻した鄭大世。新たなキャリアがついに幕を開けたのだ。(文中敬称略、第2回に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















