日本代表OBが取り戻した「鹿島とは何か」 世界に挑む教え子たち…原点にある“生粋の教育者”

「若手が伸びる時っていうのは成功体験も失敗体験も両方するもの」
現在、東京学芸大学蹴球部の監督を務める元日本代表DF岩政大樹氏。苦難を味わったものの、Jリーグで指揮した鹿島アントラーズと北海道コンサドーレ札幌では若手の成長に寄与してきた。そんな岩政氏が口にした両クラブでの経験と若手育成の哲学。そこから浮かび上がるのは“生粋の教育者”とも言うべき一面であり、まさに今の姿へとつながる。(取材・文=元川悦子/全6回の6回目)
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岩政がJリーグの舞台から遠ざかって1年あまりが経過した。鹿島アントラーズ時代に指導した佐野海舟(マインツ)が大きな飛躍を遂げ、荒木遼太郎(シント=トロイデン)が欧州での一歩を踏み出し、北海道コンサドーレ札幌時代に指導した高嶺朋樹(名古屋グランパス)、家泉怜依(水戸ホーリーホック)がJ1で新たなキャリアを歩むなど、選手個々の動向はまちまちだ。
選手への思い入れが人一倍強かった指揮官は1人1人のことを遠くから見守っている状況だ。岩政はしみじみとこう語る。
「監督によっては選手と連絡先を交換して、チームを離れた後も会ったりする人はいると思いますけど、僕は基本的にしないので。早川(友基)が2026年北中米ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバーに選ばれた時にはメッセージをくれたりはしましたけど、ホントにごくごく稀ですね。
今、思えば、鹿島も札幌もチームが揺れ動いている時の監督就任だった。そういう時だからこそ、僕にチャンスが巡ってきた。若い選手を思い切って育てようと思えた。そこは感謝しているところです」
確かに鹿島時代を振り返ると、頭打ち状態だった荒木や松村優太、樋口雄太らが一皮むけた印象もあった。それを促したのが、2023年には昌子源(現FC町田ゼルビア)、植田直通、柴崎岳というレジェンド3人の復帰だろう。
昌子は徐々に出番を得られなくなり、柴崎は怪我で苦境に陥るという形になったが、「『鹿島とは何か』というのを知るベテランを呼び戻すことに意味がある」と強く主張したのは岩政だった。その意向を当時の吉岡宗重FD(現大分トリニータFD)が汲んでアクションを起こしたわけだが、彼らが戻っていなければ、2025年のJ1タイトル奪還もなかったかもしれないのである。
「(鈴木)優磨が選手として一番いい時に戻ってきてくれて、源と植田と柴崎が戻って、生粋の鹿島魂を植え付けてくれたのはすごく大きかったと思います。サッカースタイルうんぬんの前に、鹿島が鹿島であるために何が必要かというのが曖昧になっていたので、僕はそこを取り戻したかったし、若い世代に感じてほしかったんです。それが鹿島の従来の育て方でしたから。
僕が離れたあと、ランコ(ポポヴィッチ=現京都サンガF.C.監督)と鬼木(達)さんが指揮を執り、レオ・セアラのような傑出した得点力のあるストライカーも入って勝ちましたけど、『鹿島らしさ』を若い世代に選手同士で継承していくことは重要。それは僕もOBの1人として感じていましたし、その一助にはなれたかなと感じています」
札幌に関しても、J2降格からのスタートで、正直言ってかなり難しいタスクを課せられた。岡村大八(現町田)、駒井善成(現FC今治)、浅野雄也(名古屋グランパス)といった実績ある年長者が去り、再構築を強いられるなか、今季キャプテンの西野奨太、得点源の白井陽斗らを抜擢し、伸ばしたのも事実。家泉も「大樹さんは個の守備のところを僕らに強く言ってくれました。そこの積み上げは絶対にあると思う」と実際にコメントしたというから、期間は短かったが、ある程度の種まきはしたと見ていいだろう。
岩政はこれまでの若手指導の経験について、笑顔を交え次のように振り返った。
「若手が伸びる時っていうのは成功体験も失敗体験も両方するもの。2025年の開幕4連敗もそうだったと思います。僕はその失敗を悪いと思わないし、伸びるタイミングには必要なこと。『それを今、どう捉えて先に向かっていくのか』という問いかけを何度かしたと思いますが、失敗からでしか学べないこともあるんですよ。
鹿島でも札幌でも、可能性のある若手をたくさん受け持たせてもらえたのは本当にいい経験になりました。僕はチャンスを与えるだけでしたし、彼らが自分からどんどん吸収していく姿を間近で見られたのは、嬉しいことですね」
目下、東京学芸大学の大学生を相手に成長を促している岩政。加えて教育事業も本格化しつつある。やはり彼の原点は「人を成長させたい」ということ。「チームを優勝させたい」「自分がビッグな監督になりたい」という野心よりも、そちらの方が勝っているのではないか。まさに“生粋の教育者”とも言うべき男は今、落ち着くべきところに落ち着いたのかもしれない。
もちろん現在の環境で力をつけ、再びJリーグ指揮官に戻りたいという意欲が湧き上がってくることもあるだろう。その時に岩政大樹が一味違った監督としての姿を見せてくれれば理想的。その進化を我々は興味深く見守っていきたいものである。(本文中敬称略)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。






















