50歳で初の海外生活…衝撃を受けた「電車の時間なんかも」 再認識した「日本の良さ」

土田哲也氏「その通りの人数が集まらないので、行ってみないと分からない」
今年3月から4月にかけて神奈川県などで開催されたジュニア年代の国際大会「コパ・トレーロス2026」。フィリピンから来日した選抜チームの監督として、日本へと戻ってきた指導者がいる。コンサドーレ札幌の初代メンバーとしてプレーし、鹿島アントラーズアカデミーで20年以上コーチを務めた土田哲也氏だ。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全3回の3回目)
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50歳で鹿島を辞め、JFAの派遣でウズベキスタン赴任を決めた土田氏。その1年後、今度はユース育成ダイレクターという役職でフィリピンへ。「育成年代の向上ということが中心なんですけど、ただ育成年代を向上するために指導者養成も大事です」。昨年はU-17代表の監督も務めるなど、仕事は多岐にわたる。
「フィリピンの場合はけっこう日本の駐在員の方も多くて、日本企業もいっぱいあります。日本食もそうだし日本人も多いので、そういう意味では過ごしやすいと思います。ちょっと最初は、フィリピンってちょっと危険かなというイメージもあったんですけど、全然そんなことないですね。意外と大丈夫です」
そんな土田氏の最も重要な役割は、トレセン制度の確立だ。フィリピンにはトレセン制度がなかったため、大会のたびに選手を選考していた。「でもセレクションをやると言ったって、その存在すら知らない子がいたり。国際大会の1週間前にメンバーを集めて大会参加するみたいなそんな感じ」だったという。
「だから、日本と同じようにトレセンのシステムを作って、どこにどういう選手がいるかというのを把握しておいて、選手をセレクトする。もし、例えば怪我してダメになったという選手がいても、『じゃあ、この選手がいるね』みたいな。そういうスカウト網というか、そのためのトレセンを今やっています」
今回、来日したのはマニラ地区のトレセンの選抜チーム。マニラとセブから3年前にスタートし、今年には6箇所まで拡大した。「それを数も増やしていきながら、もちろんそのクオリティも上げるようにしていきたい。日本と同じようにしていきたいなと思っているんです」とフィリピンでの奮闘を続けている。
元々は現U-15日本代表の平田礼次監督のときに始まった計画だったが、「ちょうどコロナになってしまって、あまり進まなかった」。土田氏がその後任として引き継ぎ、「自分がコロナのあとに代わったので、そこからまたスタートして始めたという感じですね。1からと言えば1からですかね」と経緯を明かす。
そんな海外生活のなかで、「日本の良さというのがよく分かります」と笑う土田氏。「一言で言うとキッチリしている。人もキッチリしているし、全てがそう。例えば時間一つ取っても、この時間と決まっていたり。やっぱりプランを立てて、先々を考えて行動するということが皆さんできますね」と実感した。
「ウズベキスタンもそうでしたけどフィリピン、話を聞くと他のアジアの国とかもそうですけど、例えば電車の時間なんかも遅れたりとかそんなの当たり前。例えばチームで活動を一つするにしても、『この時間に集合』と言ってもまず集まらない。その通りの人数が集まらないので、行ってみないと分からない」
日本で指導していたときは、「きょうはこれくらいの人数だから、こういう練習をやろう」と準備するのが常識だった。ところがフィリピンでは、「これがダメだったらこれ」という臨機応変さが求められるという土田氏。「急になにか起きたときの対応とか、そういう面では鍛えられます」と苦笑いで明かす。
「まずはやっぱりフィリピンのために、育成年代の向上から。それがゆくゆくはフィリピンのサッカー全体の向上にもつながると思うので、そこに貢献したいなと。そういうシステム作りと、実際に今接している選手たちが、将来的にフィリピン代表として戦うような選手になれるように、というところですね」
フィリピンに来て3年目、現在の目標を教えてくれた土田氏。「日本のサッカーが強くなったのは、間違いなく指導者の養成の部分があるのは間違いないと思う」とやらなければならないことは山のようにある。久しぶりの帰国も束の間、父として娘の引っ越しを手伝うと、すぐにフィリピンへと帰っていった。
(FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大 / Keita Kudo)




















