日本代表ら育成→50歳で突如海外へ…家族も驚き「えっ」 Jクラブ初代メンバーの現在地

土田哲也氏「新しい環境に行って苦労も多かったですけど、それも刺激に」
今年3月から4月にかけて神奈川県などで開催されたジュニア年代の国際大会「コパ・トレーロス2026」。フィリピンから来日した選抜チームの監督として、日本へと戻ってきた指導者がいる。コンサドーレ札幌の初代メンバーとしてプレーし、鹿島アントラーズアカデミーで20年以上コーチを務めた土田哲也氏だ。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全3回の1回目)
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「今の立場はフィリピン連盟のユースダイレクター。向こうは協会ではなくて連盟と言うんですけど、フィリピン連盟のユースダイレクターをやっています。日本サッカー協会の海外派遣です。JFAとフィリピン連盟の話の中でユースダイレクターを派遣してくれということで、それで自分が行ってやっています」
試合の合間にインタビューに応じてくれた土田氏。経歴を聞くと、今年でクラブ創設30周年を迎えた札幌の初代メンバーとして、1996年に筑波大学から加入。現役生活は2年間だったが、今も語り継がれる名選手とともにプレーした。
「札幌で2年間だけですけど、プロで選手をやっていました。立ち上げの頃です。東芝サッカー部から北海道に移転するときにちょうど入団して、コンサドーレになって。アルシンドとかペレイラというヴェルディとかでもプレーした有名な選手もいました。あとはマラドーナの弟とも一緒にプレーしました」
初年度の1996年にはジャパン・フットボール・リーグ(JFL)で5位となった札幌。1997年にはウーゴ・フェルナンデス監督のもと、JFL優勝とJ1昇格を達成した。しかし、土田氏はリーグ戦3試合、カップ戦2試合の出場にとどまった。
「チームはJリーグに上がったんですけど、そのときに自分はクビになりました。時間も短かったので、そんなに札幌に貢献できませんでした。札幌の思い出は……いい温泉に行ったってことくらいかな。定山渓の露天はもうすごく景色がいいので、そういうところに行ったり。サッカーのことはあまりですね」
そのなかでも記憶に残っているのは、1997年のナビスコカップ。ヴェルディ川崎、ガンバ大阪、横浜マリノスと強豪ひしめくグループBを、札幌は2勝3分1敗の首位で通過した。準々決勝で鹿島に敗れたが、土田氏も2試合に出場した。
「同じグループのヴェルディが三浦カズさん、武田さんとか本当にもう全盛期。あとはガンバにエムボマもいて、その強いチームが集まったなかで1位で抜けたんですよね。そういうときがあって、そのころにちょっと試合に出させてもらいました。日本もサッカーが盛り上がっていたときで、楽しかったですね」
その後は、母校の筑波大学に戻った土田氏。「指導者の勉強をしているなかで鹿島のスクールのお手伝いをしていた関係で、アントラーズでコーチをやることになって。そこから23年か24年間ですかね」。日本代表としても活躍するDF町田浩樹らを含む、常勝軍団の主力に成長した多くの選手たちに携わった。
「みんなそれぞれ記憶はありますけど、有名どころで言うと小倉幸成だったり徳田誉。もうちょっと年齢上だと、土居聖真。今山形に行きましたけど、彼がジュニアユースとユースのときに、一緒にやっていました。プロにならなかった選手でも今でもちょいちょい連絡くれたりとか、思い出は多々ありますね」
そんな土田氏に転機が訪れたのは2022年。「ウズベキスタンのアカデミーダイレクターを探しているということで、JFAからお話をいただきました」。驚きのオファーだったが、「タイミングですかね。そういうところに飛び込んでみるのもいいかなと、ウズベキスタンに行く決断をしました」と結論を出した。
「ちょうど50歳になる年だったんです。アントラーズ魂というかそういうジーコさんの教えをみんなで引き継いでやってきて、それは自分にとっても指導者のスタートの原点でもあります。ただ、ずっと同じチームでやってきて、『何か新しいことを』と10年前くらいから思う部分もありながらやっていました」
単身赴任で海外へ行くという決断に、家族も「えっ!」と驚きの反応だったと明かす土田氏。「チャレンジしてみたいと、家族の理解ももらいました。子どもの世話なんかも全部奥さんに任せきりで、申し訳ないなと思っていますけど……」。新たなチャレンジに心を燃やして、ウズベキスタンへと飛び立った。
ウズベキスタンで1年間、アカデミーダイレクターを務めた後、今度はユースダイレクターとしてフィリピンへ。「全てが新しい環境に行って苦労も多かったですけど、それも刺激になりますね」。サッカーだけではなく、文化の違いなどにも戸惑いながらも、異国のサッカーの発展のために全力を注いでいる。
(FOOTBALL ZONE編集部)



















