谷口彰悟が味わった挫折「資格はなかった」 3年半の空白…飛行機で聞いた中村憲剛の言葉

ここまで2試合に出場している谷口彰悟【写真:徳原隆元】
ここまで2試合に出場している谷口彰悟【写真:徳原隆元】

北中米W杯でここまで2試合に出場

 北中米ワールドカップ(W杯)グループステージ3試合のうち2試合でキャプテンマークを巻いてピッチに立っているのが谷口彰悟である。

【PR】ABEMA de DAZN 学割キャンペーン、最初の3ヶ月・月額980円で国内外の世界最高峰サッカーコンテンツが視聴可能に!

 第1節のオランダ代表戦では堂安律から、第3節のスウェーデン戦では板倉滉からそれぞれ試合途中に腕章を託された。思いをしっかりと受け継ぎ、ディフェンスリーダーとしてチームを統率し、決勝トーナメント進出に貢献。試合後のフラッシュインタビューでは充実感とともに胸を張った。

「少しアクシデント気味で途中から出ましたが、試合開始からベンチで戦っていました。テンションはゲームに出る選手たちと変わらず過ごせていたので、落ち着いた対応ができたと思います」

 ラウンド32のブラジル代表戦に向けて、静かにその思いを口にした。

「ここからは負けたら終わり。もうひとつギアを上げて試合に臨んでいかないといけない。みんなで覚悟を持ってラウンド32を勝ち上がれるように、みんなでいい準備をしたい」

 谷口彰悟とW杯。

 川崎フロンターレ時代に聞いた際、彼にとって最初の記憶は、日本中が狂騒に包まれた2002年の日韓大会だった。自国開催の熱量、画面越しに映る世界のスーパースターたち。幼き日の谷口は、純粋にその光景に魅了されていた。

 だが「忘れられないW杯の記憶」を尋ねたとき、返ってきたのはテレビの画面越しに熱狂した試合の話ではなかった。

 それはプロ1年目、大卒ルーキーだった谷口の目の前で起きた、ある偉大なベテランの生々しい挫折の記憶である。

 2014年春、ブラジルW杯に臨む日本代表メンバー発表の瞬間、川崎フロンターレの選手たちは、ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)のFCソウル戦を控えていた。そして空港に向かうバスの中にいた。

 車内のテレビが、大久保嘉人のサプライズ選出を告げると、一度は歓声が沸き起こった。しかし、その熱狂は直後にピタリと止まり、あまりにも重苦しい沈黙が車内を支配する。川崎のバンディエラとして君臨し続けていた中村憲剛の名前が、最後まで読み上げられなかったからである。

 当時の中村は33歳。フットボール人生のすべてを懸けていたベテランの落胆を、谷口はただ見つめることしかできなかった。

「嘉人さんの名前が呼ばれて盛り上がったんですけど、その直後に『憲剛さんが入らなかったのか……』という空気になった。あの時、すごく気落ちしている憲剛さんがいて。W杯にかける気持ちの強さと、あそこで呼ばれなかったショックの大きさは、自分が経験を積んだ今だからこそ痛いほど分かります。あれは、簡単には立ち直れないです」

 その韓国での激闘を終え、日本へと引き返す帰路の飛行機でのことだ。偶然にも谷口の隣のシートに座ったのは中村憲剛だった。世界の舞台への扉を閉ざされ、まだ生々しい傷口が開いたままのはずの先輩は、隣に座る新人に向かって、静かに語りかけてきた。

「代表を目指すべきだ」

 当時の谷口はプロ1年目。それも出場機会を掴んだばかりだったルーキーに、そう伝えてきたのだ。

「どういうきっかけでその話になったのかは覚えていないんです。でも、あの帰りの飛行機で、憲剛さんが代表についての考えや思いを僕に話してくれた。『代表を目指すのはすごくいいことだぞ。世界が変わっていくし、そこを目指すことは、サッカー選手にとっては大事なことだから』と。あの言葉は、僕にとって本当に貴重な時間でした」

 ようやくプロのピッチに立ち始めたばかりで、A代表などまだ現実味のない遠い世界の出来事だった。だが、苦しみのどん底にいた中村が、なぜ自分にその言葉を遺したのか。偉大な先輩の挫折と、機内で託された魂のバトン。その意味と重みを噛み締めるまでには、少しの時間が必要だった。

「あの言葉の意味を本当に理解できたのは、もっと時間が経ってからでした。僕が1年目の選手に話している感じですから。代表を目指すことの楽しさだったり、世界が変わっていく感覚を体験してほしい、と。憲剛さんは、それを当時の僕に伝えてくれたんだなと思います。若い選手にそういうふうになって欲しいという思いもすごくわかる。金言をもらったな、と今になって感じます」

 しかし、その血肉となった言葉の重さを、当時の谷口はまだピッチで表現しきれなかった。翌2015年、巡ってきた初めての日本代表選出。ヴァイド・ハリルホジッチ監督はミーティングで「野心を持って戦わなくてはいけない」と激しい口調で説いていたが、谷口はどこか「お客さん」のように気後れしていた。

 周囲を見渡せば、香川真司、本田圭佑、岡崎慎司、長友佑都、長谷部誠……時代を引っ張ってきた欧州組のそうそうたる顔ぶれ。2年目のJリーガーだった谷口は、その空間に強烈な居心地の悪さを覚えていたのだ。

「代表をずっと引っ張ってきた人たちが多くいて、そういう人たちに自分が割って入ってやるんだという気持ちが足りなかった。どこかお客さんのような気持ちでしたし、そんな選手の居場所があるわけもない。後になって、その場にいる資格はなかったんだなと思いました」

 野心を表現しようとしない若きディフェンダーの姿勢は、指揮官の目に物足りなく映ったのだろう。次第に代表の青いユニフォームは遠ざかり、自分のいた席には別の誰かが座るようになった。そこで初めて「あの時、なぜ自分はすべてを懸けて戦わなかったのか」という自分自身に対する怒りが沸いた。そしてあのときの中村憲剛が死に物狂いで欲し、届かなかった場所でもあることに気づいた。

 だが、そこから再び日の丸を背負うまでが長かった。森保ジャパンになってからは、川崎で圧倒的な結果を残しても代表には縁がなかった。再びその門を自らこじ開けたのは 2021年5月。代表での空白期間は3年5か月となっていた。だが、この時から狂気にも似た日の丸に対する執着心が芽生えていたと話している。

「このチャンスを死んでも逃したくない。そういう思いがありますね。自分のサッカー人生の全てをかけてポジションを勝ち取る。何が何でも代表に選ばれ続けるようにしたい。いま思うと、2015年の経験がそうさせていると思います」

 そこからはアジア最終予選での活躍もあり、川崎フロンターレに所属するJリーガーとして本大会のメンバーに選出。その執念を2022年のカタール大会で昇華させている。グループステージ3戦目のスペイン代表戦と決勝トーナメントのクロアチア代表戦でフル出場を果たし、ベストを尽くした。大会後にはカタールのアル・ラーヤンSCに完全移籍。そして2024年夏にはステップアップを目指してベルギー1部のシント=トロイデン(STVV)に移籍し、30歳を超えてから欧州に挑戦した。

 24年11月のリーグ戦で、左アキレス腱を断裂。キャリア初めてとなる長期離脱を余儀なくされたが、懸命なリハビリの末に25年10月に代表復帰。ブラジル代表との親善試合ではディフェンスリーダーとしての存在感を見せて、再び最終ラインに定着した。

 迎えた、自身2度目のW杯。

 かつて「野心」が足りないと代表から遠ざかった男は、アキレス腱断裂というという大怪我を克服し、34歳になった今もなお、静かに燃え続けている。

 プロ1年目のあの日、W杯の落選に激しく気落ちしていたフロンターレのバンディエラ・中村憲剛は33歳だった。かつて遠く見上げた偉大な先輩の年齢を超え、今や彼自身が日本代表の精神的支柱となり、次世代の道標となっている。

 次に挑むブラジル代表戦は、日本の最終ラインに君臨する谷口彰悟の集大成を見せる試合になるはずだ。

(いしかわごう / Go Ishikawa)



page 1/1

いしかわごう

いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング