議論を呼んだ上田綺世の“獲得”「観察していた」 一度手放すも…見返した「日本人じゃない」才能

鹿島から日本代表入りした3人【写真:徳原隆元 & 小林 靖】
鹿島から日本代表入りした3人【写真:徳原隆元 & 小林 靖】

上田綺世、早川友基、佐野海舟――鹿島文脈から見る若手の台頭と期待

 北中米ワールドカップ(W杯)に臨む日本代表には、鹿島アントラーズゆかりの選手たちがいる。上田綺世、早川友基、佐野海舟の3人である。彼らが常勝軍団の過酷な環境で何を学び、どのように育っていったのか。鹿島アンラーズの強化責任者を長年務めた鈴木満フットボールアドバイザーは、その育成のプロセスには、鹿島が30年間守り続けてきた独自のフィロソフィーが息づいていると語る。(取材・文=森雅史/全5回の1回目)

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「今のサッカーはテクニカルな部分よりアスリート性やフィジカルな部分がすごく重要視されるようになりました。綺世も海舟もそれにすごく適応した選手でしたよね」

 鹿島アントラーズの強化責任者として数々のスカウティングを主導し、四半世紀以上にわたりクラブのフットボール部門を率いた鈴木満氏。Jリーグ元年から独自の眼力で若い才能を発掘し、常勝軍団の血統を絶やさずに繋いできたフットボールアドバイザーである。現在は日本サッカー協会の強化部副部会長などの立場から、国内の育成構造や若手のパスウェイ(経路)に対しても冷徹な分析と提言を行っている。

 上田は中学時代は鹿島アントラーズノルテに在籍していたがユースに昇格できず、鹿島学園高校に進学。法政大学を経て、鹿島に加入した。育成組織から一度はトップ昇格のルートを外れながらも、大学経由で再び鹿島へ戻ってきた上田のパスウェイは、クラブ内でも大きな議論を呼んだ。一度手放した才能を追い続け、最高の形で回収するスカウティングの網の目は、鹿島の伝統的な強みでもある。

「高校はやっぱり体が出来上がる前で、テクニカルな部分ではまだまだという部分がありました。ですが、大学で揉まれて体もできてきて上手くなった。綺世のシュートは日本人の強さじゃない。鹿島は一度でも育成にいた選手はみんなずっとそのあとも観察しています。綺世のようなパスウェイもできて、結果的にそれが良かったと思います」

 選手を追い続ける姿勢は、当時J2だった町田ゼルビアから2年越しで獲得した佐野海舟のケースにも共通している。鹿島が求めるのは、単に技術に優れた選手ではなく、現代フットボールの趨勢である「アスリート性」と「高いインテンシティ」をピッチ上で体現できるタレントである。

「海舟は2年間かけて獲得しました。すぐ海外に行くだろうという思いもありましたが、ボールを奪い取る能力が本当に素晴らしいので欲しかったのです。海舟がほかの選手と違うのは、ボールを奪ったあとの推進力。取ってそのままの勢いで上がっていけるんです。昔はフィードに少し課題がありましたが、それでも、取った勢いでラインブレイクする部分は、鹿島にいた時からすごかった。ヨーロッパでフィードも上手くなりました」

 さらに、現在の鹿島の守護神である早川の成長も、鈴木氏は極めて高く評価している。GKという特殊なポジションにおいて、彼が持つ「我慢強さ」と「溜め」の技術は、スカウト陣が早くから見抜いていた絶対的な素質であった。

「早川の良さを一言で言ったら『溜められる』こと。たとえばスルーパスで相手選手が抜け出して1対1になったとき、早川は我慢して、相手がシュートを打とうとするのを待てる。相手も、GKが動くのを我慢して待っているのですが、早川は動かない。だから相手のシュートに反応できるんです」

 こうした若きタレントたちが、時に厳しい競争に揉まれながらも居場所を見つけ、急成長を遂げる土壌が鹿島にはある。それは甘えを許さない先輩たちの存在と、個性を尊重するクラブの文化が、絶妙なバランスで共存しているからに他ならない。

 鹿島という特別な文脈の中で磨かれた3人の若き刃は、今や日本を代表し、世界を震撼させる存在へと進化を遂げつつある。

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森 雅史

もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

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