実況も激怒してボイコット…サッカーの歴史を変えた「ヒホンの恥」 大国が手を染めた前代未聞の“談合試合”

1982年スペイン大会を戦った西ドイツ代表【写真:OMEGA/アフロ】
1982年スペイン大会を戦った西ドイツ代表【写真:OMEGA/アフロ】

W杯を彩る事件簿 今回は現在のW杯ルールを根本から変えた1982年スペイン大会のスキャンダルに迫る

 1930年の創設から、数々の名勝負とドラマを生み出してきたFIFAワールドカップ(W杯)。しかし、国の威信を懸けた戦いであるがゆえに、勝利への執念が“スポーツマンシップの放棄”という最悪の形で表れてしまうこともある。今回は、1982年スペイン大会で発生し、全世界から「八百長まがい」と猛批判を浴びた悪名高き一戦「ヒホンの恥」を振り返る。この事件は、のちのW杯における“ある絶対的なルール”を生み出す直接的なキッカケとなった。

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 事件の発端は、グループリーグ第1戦に遡る。優勝候補の西ドイツ(当時)は、W杯初出場のアルジェリアと対戦することになっていたが、試合前のドイツ陣営はあまりにも傲慢だった。

 ある選手が「7点目は妻に、8点目は犬に捧げるよ」と豪語すれば、ユップ・デルウォール監督も「もし考えられないような敗戦を喫したら、ミュンヘンに戻る始発列車に飛び乗るさ」と言い放つ始末。アルジェリアを完全に格下扱いしていたのだ。

 しかし、アルジェリアの選手たちは国のプライドを懸けて闘志を燃やしていた。当時の代表ストライカーであるラクダール・ベロウミは、「我々には独立戦争という歴史があり、代表チームと国民には強い絆がある。ドイツ人の発言は国民に対する中傷だった」と回顧している。

 そして迎えた初戦、アルジェリアはベロウミの素晴らしい決勝弾などで、なんと西ドイツを2-1で撃破する歴史的大金星を挙げる。圧倒的有利とされた大国の敗北に西ドイツは唖然とし、地元紙の南ドイツ新聞は「タイタニック号の沈没のようだ」と報じたほどだった。

 アルジェリアの躍進によってグループの順位は混戦となり、運命の最終戦「西ドイツ対オーストリア」を迎える。この試合の条件は特殊だった。西ドイツが1〜2点差で勝利すれば、西ドイツとオーストリアが揃って2次リーグへ進出し、すでに全日程を終えていたアルジェリアが敗退するという状況が生まれていたのだ。

 スペインのヒホンで行われた一戦。前半10分に西ドイツが先制ゴールを奪うと、ピッチ上の空気は異様なものへと変貌する。「これで両チームとも突破できる」——そう確信した両軍は、なんとそこから残り80分間、一切攻め合うことなく自陣でボールを回すだけの“消化試合”を始めたのだ。

 この露骨な八百長まがいのプレーに、スタンドの観客は大激怒。アルジェリアサポーターは買収を皮肉って紙幣を振りかざし、激しいブーイングを浴びせた。

 憤慨したのはファンだけではない。ドイツのテレビ局「ARD」の解説者はこの無気力試合を「恥ずべきもの」と一刀両断し、オーストリアの解説者に至っては「視聴者の皆さん、テレビの電源を切ってください」と忠告したのち、試合の残り3分の1は喋ることすら拒否して抗議の意を示した。

 結局、試合はそのまま1-0で終了。西ドイツとオーストリアが突破を決め、アルジェリアは無念の敗退となった。世界中から猛烈な批判を浴びたこの一戦は、のちに「ヒホンの恥」としてサッカー史に暗い影を落とすこととなる。

 国際サッカー連盟(FIFA)はこの事態を重く受け止め、のちの大会から「グループリーグ最終節は、不正や談合を防ぐために全試合を同時刻にキックオフする」というルールを導入。現在まで続くこの鉄則は、この事件の教訓から生まれたものだ。

 理不尽な“大国の陰謀”によって大会を追われたアルジェリアだったが、選手たちは決して荒れることなく、冷静で誇り高かった。DFのシャバネ・メルゼカネが大会を去る際に語った内容をFIFA公式サイトは伝えている。

「僕たちは怒っていない。2つの大国が、我々を排除するためだけに自らを卑下している姿を見るのは、アルジェリアへの最大の賛辞だ。彼らは不名誉なことをしたが、我々は頭を高く上げてここを出て行くんだ」

 大国の驕りと見苦しい結託、そして初出場国が見せた揺るぎない誇り。W杯の光と影がこれほどまでに克明に浮かび上がった事件は、他に類を見ない。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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