遠藤航“代表引退”の舞台裏「俺はできる」 怪我をめぐるズレ…両者が下した苦渋の決断

遠藤航はSNSで代表引退を発表した
北中米ワールドカップ(W杯)に臨む日本代表は現地時間6月11日、主将MF遠藤航(リバプール)の離脱を発表した。「W杯優勝」を目標に掲げたキャプテンは、なぜ初戦のオランダ戦の3日前に無念の離脱をすることになったのか。その舞台裏に迫った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部)
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JFAが離脱を発表した約1時間半後、遠藤は自身のSNSで突如、代表引退を発表した。「自分は今回の代表をもって代表を引退する事にします。なので、これからは1人のファンとして日本代表を応援していきます。将来、日本代表がW杯で優勝する瞬間は必ずきます。それを信じてみんなで応援しましょう。そしてその瞬間が今大会になるように、日本の力を1つにしてみんなで北中米W杯挑んでいきましょう!!」と、前代未聞の声明となった。
W杯初戦となるオランダ戦の3日前に主将が離脱。チームには今朝、森保一監督から伝えられた。ミーティングでは新主将のDF板倉滉が「より一層の責任と覚悟を持って進みましょう」と決意表明。ここまで牽引してきた遠藤の思いを代弁した。
遠藤は今年2月のリーグ戦で左足の甲をつなぐリスフラン靭帯を断裂。実際は全治6か月の怪我だったため、リバプールと日本代表のドクターに手術の見解を聞き、結果、緊急帰国を決断した。W杯に間に合わせるため、日本代表のドクターが提示した人工靭帯を入れる手術を自ら選択。リバプール側もW杯出場のために快く後押しした。
リハビリのスケジュールはタイトで、5月24日のプレミアリーグ最終節ブレントフォード戦でベンチ入り。慎重に調整を進めていたなかで、5月31日に国内で行われたアイスランド戦で先発出場した。約3か月半ぶりに実戦復帰したが、試合中に同箇所に違和感を覚えて、前半だけで交代。そのまま後半途中まで治療を受け、試合後のセレモニーにはキャプテンとして出席した。
メキシコ・モンテレイの事前キャンプでは、痛みの影響で一度もグラウンドでの練習には合流できず。それでも6月7日に取材に応じた森保一監督は「私から見たというよりも、ここはメディカル、ドクターに任せてますので、ドクターの見立てで、遠藤はW杯の開幕からプレーできるという所です。今の報告の中ではW杯でプレーできると聞いています」と話していた。
ベースキャンプ地のアメリカ・ナッシュビルに移動後は、8日の練習に参加。チームがオフだった9日にも個別でトレーニングを行うなど順調に回復しているように思われた。10日には部分合流を果たしたが、練習後に異変があった。この日、取材対応を約束していたが、回避を申し出た。「途中まで一緒に練習はして、最後は確認だった」と話し、ミックスゾーンを通り過ぎた。
この裏では、遠藤とメディカルによる怪我に対する見解の相違があった。遠藤自身は「俺はプレーできる」という感触があり、状態を徐々に上げていく自信があった。実際、6日には痛みは引き、状態はかなり回復。だがW杯を4日後に控えた中で、メディカルはW杯でのプレーは難しいと判断を下した。
その報告を受けた森保監督が、入れ替えという苦渋の決断をした。新主将の板倉は「監督含め、チームスタッフも相当難しい決断だったと思いますし。もちろん航くんがW杯に出るためにすぐ手術をして、本当にどれだけこのW杯に懸けていたかは言わずとも分かっているので。両方にとって難しい決断だったのかなと思います」と明かした。
3大会連続となるW杯出場には並々ならぬ思いを抱いていた。カタールW杯後、森保ジャパン第2期の23年6月に主将就任。今季はリバプールでの出場時間が限られていたなかで「ボランチじゃなくてもセンターバックでもサイドバックでも。スタメンでもクローザー的な役割でもいい」と覚悟を話していた。
18年ロシアW杯で出番がなく、欧州移籍を決意。3度目の大舞台は主将としてピッチに立つはずだった。4月にイギリスで取材した際には、33歳で迎える大会に「年齢的にも集大成。でも『W杯が終わったら代表をやめる』とは言わないと思う」と話していた。なぜなら「最終的には息子と一緒にプレーするのが目標。W杯を一緒に行くとなったら息子は17歳でメンバー入りしないといけないし、俺も37歳でメンバー入りしなきゃいけない。でも実現できないというわけではない」と、日本の優勝のためだけではなく、家族に背中を見せ、子どもたちの指標となるためでもあった。
やり場のない思いを抱え、離脱が決定。2015年の初招集から国際Aマッチ73試合に出場した大黒柱が日本代表のユニフォームを脱ぐ決意を固めた。入り混じった複雑な心境から、チームメイトの前で挨拶することはせず、新主将の板倉に「応援しているぞ。みんなによろしく頼む」と思いを託した。
無責任な行動ではない。「信頼できる監督、スタッフとチームメイトがいてくれる。自分にできることを優勝のためにやっていきたい。このチームをまとめられるの嬉しいんですよ。森保さんをみんなで漢にしたい」と、臨んだ大会だった。叶わなかった夢、届かなかった舞台——。遠藤航が日の丸と共に歩んだ3969日は紛れも無い、日本サッカー界の歴史に刻まれる不滅の軌跡だ。
(FOOTBALL ZONE編集部)

















