デル・ピエロ&トッティ選外…イタリア歴代ベスト11 W杯3大会連続で逃し「もはや強豪国ではない」

現代のイタリアには見られなくなったファンタジスタ、ロベルト・バッジョ
ワールドカップ18回出場、優勝4回。輝かしい戦績を残しているイタリア代表は現在低迷期にある。
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2006年大会優勝後は2大会連続のグループステージ敗退、その後の18年、22年は欧州予選敗退で出場すらできず。今回の北中米大会も欧州予選プレーオフで敗退。優勝国の3大会連続予選敗退は初めての出来事であり、イタリアはもはや強豪国ではないのかもしれない。
もともと他の強豪国と比べると安定感はなかった。グループステージ敗退が7回もある。1934年は開催国として初優勝しているが、当時のベニート・ムッソリーニ首相の圧力や審判買収の疑惑があった。ただ、38年大会も連覇していてイタリアが強かったのは確かである。W杯に2度優勝した監督は、この時期のヴィットーリオ・ポッツォしかいない。メトードと呼ばれた【2-3-2-3】システムを考案した当時の欧州の頭脳の1人だった。
その後、低迷期が続いたが70年メキシコ大会で準優勝。このときのシステムは独特で、90年大会まで継続されている。
リベロの前に3人のDF。さらにMFの1人もほぼ守備要員。中央に司令塔を置き、司令塔の補佐役が1
人。前線は強靭な1トップと機動力のあるセカンドトップの組み合わせ。ウイングは1人だけでMFと兼任のワーキングウインガーという左右非対称の構成だった。ウイングのいない左側は左SBのオーバーラップが定番、そのため徹底マンマークながら左SBだけは定位置という変則である。60年代に欧州を席巻したインテルのやり方をそのまま採り入れたものだ。
この独特なシステムで70年2位の後、78年4位、82年優勝、90年3位と好成績を残した。アリゴ・サッキ監督の94年はゾーンシステムの【4-4-2】に変更されたが、長期間採用されてイタリアらしさが濃厚だった70~90年代のスタイルでベストイレブンを考えてみたい。
GKは40歳で優勝(82年)に貢献したディノ・ゾフも印象的だったが、2006年優勝時のGKジャンルイジ・ブッフォンとする。守備面で傑出した能力を示していた。
リベロはフランコ・バレージ。ACミランでのゾーンシステムの要というイメージが強いが、90年大会ではリベロとして活躍している。神秘的な読みの鋭さは追随を許さない。
マンマークのスペシャリストとしてファビオ・カンナバーロ、クラウディオ・ジェンティーレ。カンナバーロは小柄ながら抜群の身体能力で2006年のバロンドールを獲得。ジェンティーレは82年大会でディエゴ・マラドーナ、ジーコに執拗につきまとったイタリアらしいエースキラーである。
攻撃的な左SBは元祖のジャチント・ファケッティ、後継型のアントニオ・カブリーニがいるが完成形ともいえるパオロ・マルディーニを選出。
ほぼ守備要員のMFにはジェンナーロ・ガットゥーゾ。司令塔補佐役として運動量と技術を兼ね備えたダニエレ・デ・ロッシ。
花形の司令塔はジャンニ・リベラ、ジャンカルロ・アントニョーニ、アンドレア・ピルロの3人で迷ったが、06年優勝の貢献度からピルロを選択。組み立て専業のこのポジションではインテルのルイス・スアレスが有名だったがスペイン人なので当然選べない。
ワーキングウインガーはフランコ・カウジオ、ブルーノ・コンティ、ロベルト・ドナドーニ、マウロ・カモラネージの中からコンティとした。左利きの右サイドはイタリア式としては珍しい。テクニック、運動量、スピード、戦術眼を兼ね備えた、このポジションの理想像といえる。
CFはミラノのスタジアムにその名が冠されたジュゼッペ・メアッツァ。セカンドトップは候補が多い。ルイジ・リーバ、パオロ・ロッシ、ロベルト・バッジョ、アレサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティの中から3大会に出場したバッジョを選出。ひらめきとテクニックはファンタジスタの典型。現在のイタリアには見られなくなってしまったタイプの選手でもある。

西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。
















