「クロップの概念を間近で触れられる場所」 RB大宮SDが挑む「日本とレッドブルの融合」とグローバル人材への道

水戸を退団しRB大宮のSDに就任した西村卓朗氏
RB大宮アルディージャのスポーツダイレクター(SD)として今年から新たなキャリアを踏み出した西村卓朗氏。過去10年間在籍した水戸ホーリーホック時代はジェネラルマネージャー(GM)として手腕を振るっていたが、業務内容は大きく違っているようだ。SD就任から4か月が経過した本人を直撃した。(取材・文=元川悦子/全5回の2回目)
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「水戸時代は最初、強化部長からスタートしてGMに職域を広げていきましたが、『GMって何だろう』と自分自身も思ったんです。基本的にJクラブには経営、事業、トップチーム、アカデミーという4つのセクションがあって、最初はトップチームと事業に関わりました。特に人材採用と新規事業の立案が中心でしたね。そこからアカデミーに関与し始め、経営の方にも行ったんですけど、トップチームがJ2残留争いを強いられた2023、24年はそちらの強化に全力を注いでいました」
水戸での仕事をこう振り返る西村SD。しかし、RB大宮に移ってからは注力する部分が変わったという。
「RB大宮に来てからは、まずトップチームの仕事に注力し、徐々にアカデミー領域も手掛けていく形になっています。実際、RB大宮の場合はユース所属のプロ契約選手が5人いて、それ以外にもトップチームの練習・試合に参加する人材がいる。選手の行き来がすごく多いので、両者の連携強化は非常に大きなテーマ。現状ではトップ8割、アカデミー2割くらいのバランスで仕事をしていますが、いずれにしても、チーム強化、フットボールの部分に専念しているのは確かです」
RBグループの場合、RBライプツィヒやMLSのニューヨーク・レッドブルズ、ブラジル1部のレッドブル・ブラガンチーノといった傘下のクラブとのテクニカルミーティングが定期的に行われており、4月に退任した原博実前社長も当初、そこに参加していると話していた。現在はスチュアート・ウェバー・ヘッドオブスポーツがそこに参加。西村SDはフィードバックを聞きながら、日本側のアプローチを重点的に担っているようだ。
「僕は日本人選手のチェックや日本の仲介人とのネットワーク強化、日本サッカー協会やJリーグ・各クラブとの意思疎通などを主に担当し、情報収集にあたりながら、スチュアートとともに意思決定をするのが仕事になってきます。
海外の情報収集に関しては、ジェフユナイテッド千葉から1月に加入した征爾ローズという語学堪能なスタッフがいるので、彼に担当してもらい、我々で集めた情報をスチュアートとともに吟味して最終的な決断を下すという流れになっています。
僕自身、アメリカで1年半、プレーした経験があるのですが、実は英語はそんなに堪能じゃない(苦笑)。それもRB大宮に来た1つの理由でもあるんですが、喋れないのがコンプレックスでもあるんです。だからこそ、この環境に飛び込んだ。今は英語のレッスンもしていますし、より密にコミュニケーションを図れるように努力して、チームの力を結集して最大の成果をもたらせるようにしなければいけない。自分の中では『集合知』という言い方をしていますけど、それを発揮できるような環境作りに尽力しています」と、西村SDはグローバルで活躍できる強化のスペシャリストになるべく、再出発したところだ。
2026年夏にはシーズン移行があり、欧州各国のリーグとカレンダーが一緒になるため、選手の移籍交渉の機会も増えていくだろう。また、Jリーグが推奨しているシーズンオフのキャンプなどで欧州や他の地域に赴くチャンスも自ずと多くなりそうだ。そういう環境下で英語を含めた外国語の意思疎通能力というのは、今後の強化担当にとって必要不可欠。さらに外国人スタッフと垣根なく仕事ができる国際人材になることは、西村SDにとって今後の大きなテーマになってきそうだ。
「僕は今、Jリーグのフットボール委員会と日本サッカー協会の強化部会の両方に出させてもらっているんですが、日本サッカーをより強くしていくためには、日本の強みと弱点を日々、客観視して、そこに取り組んでいくことが重要になる。RB大宮に来てからそういう機会が劇的に増えたのは確かです。
まだ実際には会っていないんですけど、レッドブルのグローバルサッカー部門の責任者であるユルゲン・クロップさんやテクニカルダイレクターのマリオ・ゴメスさんのようなフットボールエキスパートの知識や概念を間近で触れられる場所にいることは物凄く大きい。僕も新たな学びの場を得られて、刺激的な時間を過ごしています」
こう語り、新たな意欲を示した西村SD。水戸をJ1昇格へと導いた彼がわずか数か月後にこのような環境に身を投じているとは、多くの人が想像していなかっただろうが、何事も終わりがあれば始まりはある。間もなく2026年J2・J3百年構想リーグが終了するが、ここからが彼の本領発揮の場になりそうだ。(第3回に続く)
[著者プロフィール]
元川悦子(もとかわ・えつこ)/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙や夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。日本代表は97年から本格的に追い始め、アウェー戦もほぼ現地取材。W杯は94年アメリカ大会から8回連続で現地へ。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

















