J1昇格の立役者→まさかの契約満了「突然だった」 18年の時を経て古巣へ…敏腕SDが復帰した真相

水戸を退団し、RB大宮のSDに就任した西村卓朗氏【写真:元川悦子】
水戸を退団し、RB大宮のSDに就任した西村卓朗氏【写真:元川悦子】

水戸を退団しRB大宮のSDに就任した西村卓朗氏

 99年のJリーグ2部制導入から”J2の門番”と言われてきた水戸ホーリーホック。彼らは2025年J2で優勝し、2026年から最高峰リーグに参戦している。その立役者と言われたのが、昨季までジェネラルマネージャー(GM)を務めていた西村卓朗氏(現RB大宮スポーツダイレクター)だ。

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 水戸の昇格が決まった直後に契約満了というショッキングな事態に直面した敏腕強化担当はなぜRB大宮に赴いたのか。2024年9月からレッドブルが経営権を取得した外資100%の異色クラブで彼はどのような仕事を手掛けようとしているのか。SD就任から4か月が経過した本人を直撃した。(取材・文=元川悦子/全5回の1回目)

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「水戸の契約満了は突然だったので、非常にビックリしました」

 西村SDは開口一番、こう切り出した。

「それが昨季J2最終節から1週間後の12月6日のこと。12月8日に正式発表され、メディアにいろんな記事が出ましたが、事実と違うことがいくつかあったので、自分から発信させていただきました。

 そのアクションが結果的に奏功した。12月9日にRB大宮からコンタクトがありました。スチュアート(ウェバー=ヘッドオブスポーツ)が『会いたい』と言ってくれて、彼が欧州に戻る都合があったので、11日には会う時間を設けました。そこで有難いことに、興味を持っていると伝えていただきました。

 ご存じの通り、僕は2004年途中から2008年まで大宮でプレーしていたので、まさに古巣のクラブです。そこから誘いを受けるなんで、考えてもみなかったので、本当に青天の霹靂でした」と彼は激動の数日間を述懐する。

 とはいえ、西村SDはすぐ快諾したわけではなく、しばらく空白期間を作り、自分自身の進むべき道をじっくりと考えた。2016年から10年間過ごした水戸を離れるとは少し前まで考えていなかったが、それが現実になった。だとしたら自分は何に向かうべきなのか…。それを冷静になって見極める必要があったからだ。

「水戸ではキャリアコーチと選手が継続的に1on1面談をして、『ミッション』『ビジョン』『バリュー』(MVV)の策定をする取り組みを2020年から行ってきました。

 ミッションは社会の中での自分の役割、ビジョンはミッションを実現した理想の未来像、バリューは日々の行動指針を指すのですが、僕は選手と向き合いながらそれを求め続けてきました。

 であれば、次は自分自身にそれを問いかけるべきだと考えた。RB大宮が自分に興味を持ってくれた時に、それを受けた場合にどうなるのか、違う選択肢を選んだ時はどうなるのか、自分は何をすべきなのかといったことを真剣に模索しました。

 そこで行きついたのは、RB大宮が古巣だったことに加え、Jリーグ唯一の外資クラブだということ。日本サッカー界にとっての大きなチャレンジの場に自分が身を投じるのは、すごくプラスになると感じた。12月末に正式オファーをいただいて、年明け早々に回答し、1月8日に正式発表に至った。翌9日から働き始めたという形です」と西村SDは新たな一歩を踏み出したのだ。

 彼がかつての大宮でプレーしていた当時、練習拠点は現在のさいたま市西区西大宮ではなく、志木市の荒川河川敷にあった。母体もNTT東日本であり、今とは運営体制も違っていた。当時からRB大宮に移行するまでの約20年間に、旧知の関係者の多くが去っていたが、旧知の仲間は何人か残っていた。そこは心強い材料だったという。

「トップチームのコーチには喜名哲裕さんや島田裕介がいますし、アカデミーにも森田浩史、大沢朋也、金澤慎といった当時ともに戦っていたメンバーがいる。強化部には橋本早十も名を連ねています。

 大宮は2004年J2で2位になって、J1初昇格を決めたわけですけど、当時を一緒に経験した仲間がいて、いい雰囲気を引き継いでくれている人たちがいたので、僕自身も馴染みやすかったのは確かです。

 誰がいるかというのは、今回の決断を下すうえでそれほど重視しなかった点ですけど、思い入れのあるクラブでまた働けることは嬉しかった。大宮を離れた後、僕はポートランド・ティンバーズ、クリスタルパレス・ボルチモアへ行き、最後はコンサドーレ札幌でプレー。引退後は浦和のスクールコーチやVONDS市原のGM兼監督もさせてもらいましたけど、ずっと特別視していましたから。

 RBの傘下に入った時、『自分は旧体制だったら戻る可能性があったかもしれないけど、もうなくなったな』と考えていました。だからこそ、こうやってまた戻ってこられたのは本当に何かの縁。嬉しいことですね」と西村SDは18年の時を経て、埼玉の地で再始動することになった率直な思いをストレートに吐露した。

 近年のJリーグの強化トップと言えば、FC町田ゼルビア・原靖フットボールダイレクター(FD)、東京ヴェルディの江尻篤彦強化部長など50代の面々が多いが、西村SDは40代の中で傑出した実績を残してきた。注目の人材がRB大宮でどういう取り組みを見せるのか。期待が集まる中、彼は新たなスタートを切ったのである。(第2回に続く)

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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